吉本ばなな

07年6月29日(金)雨、久しぶりの雨。ほとんど終日降る。
 どこに行くあても無く、茫然としている。
 吉本ばなな『日々の考え』(リトル・モア2003年12月刊行)1,200円(ブックオフ                                    105円)
 この人の作品は最初の「キッチン」だけしか読んだことがない。そして「キッチン」が世に出てから昨年で20年という。う〜ん、あの頃、丁度ウイリアムが高校に入ったのかな。
 出てすぐの頃に新作の文芸小説なんかあまり読まない愛恋が、これは面白いよ、と褒めていたのを思い出す。
 知りあいのフランス人に、これ翻訳したら、と薦めていたようだが、彼女の好みには合わなかったようだ。たしかその時の感想では、フランス人には普通すぎる、というようなものだった。でも今では、吉本ばななほど海外での翻訳が多い作家はいないだろう。村上春樹以上じゃないのかな。韓国でもメキシコでもヨーロッパでも旧東欧諸国でも、共感を持って迎えられている(らしい)。
 
 これは雑誌連載の日々のエッセイ集。なかなかいい。見栄やはったりや取り澄ました虚栄が無い。頭の良いところや勉強の成果を強調しない。りきまない。押し付けない。
 下ネタにも平気で、ホラーが好きで、オカルトにもはまっていて、アニメおたく。
しかし、借り物の感性ではないところが、そこはかと無く好感を感じる。
 これは彼女自身の言葉を借りていうと、レオス・カラックスの映画を評して「やはり、監督が全部自分の言葉だけで、恥ずかしくても甘く見えてもアホでも、自分のイメージを語ろうとしているから好感が持てるのだろう。それはすごく勇気がいるのだろうなあ、と彼の身になってしんみりした。」p39 という感想と同じだろう。
いくつか引用させてもらおうか。
 食べ物について
 「私は食べるのが人一倍好きだ。美味しいものを好きな人たちと時間をかけてたべることはすばらしい。人生の最高の幸福のうちの一つだと思う。・・・でも食べることが一番の目的になったらそれは人ではない、動物だ。いやうちの犬や亀でさえ、食べる喜びは散歩と競っている様子なので、犬や亀に劣る存在になってしまう。」・・・「「一番したいことは?」と聞かれて「おいしいものを食べること」という答えを聞くと、私は、どうしてかげんなりしてしまう。他に遣るべきことがあるだろう!とどうしても思ってしまう」p86

「たまにつきあいで普段行かないたぐいの店に行くことがある。言い方は悪いけど、中途半端な値段で自分でもつくれるものを食べさせるちょっとおしゃれな店だ。そこでみんながおいしくもない油っこいものをがつがつ食べている様を見ると、どうしても浮かんでくるのは「家畜」という言葉だ。なんだか日本の社会がどうしょうもない状態なのを、安い食べ物を雰囲気でごまかしてふんだんに与えることで、ごまかされているような気がするのだ。どんな外国に行っても、こんな中途半端な店がたくさんあるところはない。」 p88

「せめて同じ千円出すなら、量ではなくて出す食べ物に誇りを持つ店に使おうよ〜。
同じ鞄を買うなら、自分のライフスタイルに合わせて買おうよ・・・
どこに持っていくの?その鞄を。
いつはくの、そのパーテイ用の靴を。
なんでワンルームに住んでいてシャネルのバッグ置いてあるの?
東京しか走らないのになんでまたそんなでっかいタイヤの4WDが必要なの?
コンピューターと携帯どんどん買い替えても出きることの大筋はどう違うのよ。
それはあなたの人生に必要な機能なの?
そのお金と時間はもったいなくないの?
もちろん好きに生きていいんだと思うけど、何が何だかさっぱりわからないだ・・・。
などと熱くなってしまうのは、やっぱり私がものすごくいやしんぼだからだろう。
いやしんぼにしかわらないこともある。」p91
 まっとうな、賢い娘だ。

 オカルト本について
「・・・ある日、急に頭の中がどうにかなってしまい、この世の仕組みがわかったような気持ちになることは私にもある。でも、それを本にしようとはやっぱり思わない。
それは「どういう人かまだよく知らない年上のエロいお姉さんへの恋心に燃え上がる童貞中学生男子の語る真実の愛」のようなものなのではないだろうか。
それほど切実だが信用できないものはない。」p94

 パンチパーマでジャージ、雪駄履きのリスキーなスタイルのリトルモア社長竹井さんについて
「私は下町の出身なので、ああいう外見でもちゃんとした人とそうでない人っていうのは何となくわかる。
 ああいう外見でちゃんとしている人っていうのは、日常の生活や趣味や収入を得る方法はいくらへだたっていても、果てしなくちゃんとしているのだ。
サラリーマンのほうがよっぽど下品な場合が多いのだ。」p115

 健康法は好きだけど・・・そしてココまで言うか、爆笑。
「(気功ってすごいと思うけど)今まで会った中国の気関係の人、みな、どことなくだが、エロいのだ。多分、パワーがあがると精力も増強され、おのずとギラギラてかてかひかってしまうのだろうけれど、多分その上の世界があるだろう?そうだろう?なあ、頼むよ、と私は思っていた。力を得ることの条件が性欲も炸裂というのでは、なんとなく、人間というものが空しい気がするんだけれど。・・・私はこれまでの人生、なるべくレイプされないように生きてきたつもりなのだが、非合意で穴に指を突っ込まれたのは、気功のおじさんだけである。体の調子がどれほどよくなろうと、私は合意でない人に穴を許したくないのだった。」p147

 後半はインタビューが収録されている。

その中で自分のスタンスについて
「例えば(私はそういう経験を一回もしたことが無いんで本当に"例えば”なんですけど)、よくみんな、結婚するというので、相手の田舎のお母さんとか、お父さんに挨拶に行くでしょう。
そうすると、もともと知りあいでもなんでもないのに、急に”お母さん”とか”お父さん”とか呼ぶ。よく考えてみれば、これってすごく変なことでしょう?
慣れてきて、そんな気がしてきたら呼べるかもしれないけど、いきなり今日からっていうのは、本当にわかんないですね。
相手の親のほうは、急に呼び捨てになっちゃったりとか。
それは、女性上位とかそういう話とは全然関係なく、まったく理解できない。
・・でも、たいだいそんなようなことで世に中が成り立っているというのは、よくわかるんですよ。
確かに成り立っているんだけど、『ちょっと変だと思いませんか』みたいなことはよく書いているような気がする。
そういうことを書くことで、みんなも本当はわかってないんだけど、『こういうもんなんだろう』と思ってやってることを、代わりに熱心に考えたんじゃないかなって」
  〜集団性、同質性への皮膚感覚的(本能的)な異和感。

 批評について
「批評を書く人は、小説なら小説を書いた人が何をしたかったのかをいうのを、まず把握してないといけないと思う。そえrもかなり正確に。それがわかっていないと、作品がどこまで到達してるかが批評できないから、あんまり意味がないような気がする」

 (インタビューアー「作家が目指したものを、きちんと測るということですね。)
「じゃないかと思います。自分の好みにかかわらず測り、測った後で何を言えるか、というのが批評だと思う。
まず正確に測ってもらわないと、書いたほうとしては、その作品をすごく好きだという批評を見ても、腹が立ちますね。
『全然わけのわからない角度から見てるな、これじゃ読者じゃないか』と思って。
読者は何を言ってもいいんですよ。作品は読者に属するものだから。
でも、批評家というのは、作品と読者の間に入ってる人だから、読者というだけだと困るな、ってよくプリプリ怒っています。」p200〜201

 亀が好き、犬が好き、猫が好き、家の中は動物園みたいだという。

 なんでかは分からないが左目がチカチカしてえぐい。風邪の症状か。
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by zo-shigaya | 2007-08-04 17:44