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ん、誰か呼んだ?


by zo-shigaya

心中の理由

「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)」という浄瑠璃があります。通称「お半長」です。今は知る人は少なかろうが、30年位前までは「お伊勢参りの下向先、石部の宿で、<ウンヌン>岩田帯締めたとさ」という小唄もあって人口に膾炙していた話である。
 この浄瑠璃は落語の『胴乱の幸助』の主題なので、私にも大変親しいものです。ではあるが全曲を浄瑠璃で聞いたこともないし、読んだこともない、このままにしておくのもなんだ、ということで岩波文庫を取りだして、大体なんでも私の書庫には入っている、読んでみました。
 と、意外な発見あれこれ、がありましたので、メモとして書いておきます。これから先はネタばらしにもなりますから、自分で読みたい人は見ないでね。

 四十に近き長右衛門さんが、十四歳のお半に惚れ抜いて桂川で心中した、というのは平成の世のロリコン趣味の時代と違い、江戸大阪のご時世では、いかにも絵空事、と作者が気を回したこともあってか、この心中には「実は・・・」という事情がこってりと塗られているのでした。
 ・長右衛門さんは帯屋の当主半斎が跡取りがいないので隣家からもらった子です。大変良く出来た子でこのままいけばお家は安泰であったのですが半斎の連れ合いが亡くなり後添えに飯炊きの婆、お登勢というのがずるずるべったりに入り込み、その連れ子の義兵衛を跡継ぎにしてお家を乗っ取る算段で長右衛門夫婦にことあるごとに嫌がらせをして追い出す策略を立てている。
 ・家の運転資金百両が紛失します。それは長右衛門さんが廓遊びにふけって蕩尽したのだ、と継母お登勢は責めたてますが、
 ⇒実は、お内儀のお絹さん、落語では「日本一の貞女」ですが、その兄さんが恋い焦がれている女郎の身請けの為に、出してやったのでありました。長右衛門さんはお絹さんに肩身の狭い思いをさせないために黙っていたのです。
 ・長右衛門さんの死なねばならぬ理由は、色恋だけではありませんでした。帯屋お出入りの大名家の伝家の宝刀の研ぎを頼まれていたものを、例の石部の宿ですり替えられてしまい、死んでお詫びをせねばならぬ、と追い込まれていたのです。長右衛門さんとしてはお半との一事がありますから、なおさら責任を感じるのでしょう。
 ところが、実はこのすり替えは後添えのお登勢とその連れ子義兵衛が、お伴をしていた小僧の長吉を抱き込んでやらせたのであります。このことは小僧長吉の兄の知るところとなり、恩になった主家になんたる不埒、と帯屋に乗り込んで来て悪事露見するのですが、その時には一足遅く、長右衛門さんはすでに桂川へ出かけた後でした。
 このような難儀が積み重なって、死ぬ環境(?)が整えられることになるのですが、なんと言っても最大の「実は」は、
 なんと、ここからゴチックにしなければならないが、長右衛門さんは14年前に女郎と心中して相手を死なせてしまった事があるのです。「雪野」という女郎であったのですが、その生まれ変わりを14歳のお半さんに見てしまうわけです。死に後れたことへの悔いを、ずっと持ち続けてきたわけで、いわば雪野への心中立てなのです。へえ、なるほどねえ。これでこそこの心中が、更年期の中年男の妄執では無く、愛の輪廻の悲劇になって行くのですな。ここまで読んだ人は一割くらいのもので、世間通用ではロリコン理解で、今ではその方が通りが良いのかもしれない。

 そして、それに加えて番外篇『私の最大の「実は」』があります。
 復刊された岩波文庫の字があまりに小さくて読み難いので、こうなればとネットの古本屋から「近松全集」全17巻を買い込んで、さて何巻にあるじゃろかと、一巻一巻題名を調べてみて、あれれ、れれ、無いの、
無いのね〜、載ってないの。驚きあきれて岩波文庫を打ち広げ、よくよく見れば、本文末尾に「作者菅専助」。この浄瑠璃の作者は、実は、近松ではなくて、菅専助だったのです。作者名くらいは、表紙とか目次に書いておけよな、と言いたくなりますな。でもこの「近松全集」を買ったお陰で、という話はまた後日。
by zo-shigaya | 2005-03-16 14:45