ん、誰か呼んだ?


by zo-shigaya
 高校生の子供を持つ親の会話を聞いていると、子供たちのケイタイ電話料金が月に1万円くらいかかるらしい。それくらいならいいほうよ、ウチはもっとかかる、という会話になる。高校生のお小遣いはいくらか、月1万円電話代であとどれくらい可処分所得があるのだろうか。
 家電は使用回数が少なくなったとは言え、ネット通信を利用していればその使用料でおそらく5,6千円、さらに親それぞれにケイタイがあるのだから、通信費だけで1世帯どれくらいの出費になるのだろう。2万か、3万か。以前であれば発生しなかった経費だ。
 なるほどケータイ貧乏。
 お茶屋さんと話をしたら、お茶なんてさっぱり売れません、という。そもそも急須を持っている家庭が少なくなりました、という。ほとんどがペットのお茶。小さな子たちのご飯の時も、急須から注いだお茶よりもペットのお茶をテーブルに置いている家庭が多い。キャップを取ってすぐ、お茶、って便利かな。でも、急須から注げば一杯3円くらいのお茶が、ペットとなれば百円以上する。
 家計の負担が、こんな形で増えているのが、格差の原因?

 このごろの市役所や官庁の会議では、テーブルの上に水やお茶のペットを置いている。お茶汲みは女性差別ですからやめました、などとトクトクと語る役人がいる。思わず腹の中で、お前がお茶を出したら、ペット代金数千円払うよりいいじゃないか、と言いたくなる。そのペットボトルは資源再生に回るが、その費用は自治体の負担だ。
これって税金のムダ使いの自乗?

 銀行のデスクロージャーという事で、経営説明会が必ず開かれている。行ってみるとどこの銀行でも幹部が、ノーネクタイ、ワイシャツの袖まくりで壇上からご進講している。聞いている企業の社長さんたちは、律義に背広にネクタイで汗を拭いている。
 冷房温度をぐっと下げている自分のところの会場ならまだしも、冷房の利いたホテルや会館を借り上げての説明会で、その格好はないだろう、と思うが、これってひがみ?
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# by zo-shigaya | 2008-09-04 12:39

目の法悦

 岩波文庫の斎藤緑雨「かくれんぼ」を146%の拡大コピーで読む。誠に具合がよろしい。
 原文は改行の無い漢文口語体=江戸戯文体である。これを文庫本の活字の大きさで読むと途中でなにがなにやら判らなくなる。読みづらい印象が先に来る。
 それを拡大して区切りの朱を入れながら読むと実に良い文章であり、面白い、楽しい。一読して三嘆。

 岩波文庫にはワイド版があるが、そこまでしなくても、活字をもう少し大きくしてゆったり組んだ版型にすればよい。その点では文春文庫が一番読みやすい。新潮文庫も新版からは活字を大きくしている。
 たまたま書店で手に取った安岡章太郎の「質屋の女房」などは前版よりは格段に読みやすくなった。もっとも安岡章太郎の作品は小さい活字でもそれほど痛痒は感じないが、この斎藤緑雨の作品や、樋口一葉さんのものは組版の違いが理解と鑑賞に大きな影響を与える。
 ちなみに新潮文庫「にごりえ・たけくらべ」の平成15年改版本は実に好ましい組み具合になっていて、手に取って眺めているうちに、つい何度目かの「にごりえ」体験をしてしまう。

 ついでに触れておくが、集英社文庫にも「たけくらべ」がある。(1993年刊行)こちらは行間がもっとゆったりで、ルビもたっぷり振り、脚注付き、で初めて手に取る人たちに誠に親切な造りである。
 ただ、一読即解を狙うがあまりに、原文を適宜改行し、句読点を振り、さらに会話とおぼしきところはカギカッコを付けて、改行して表に出している部分もある。
 ここまですれば、一葉さんの文体ではなくなってしまう。

 例えば「たけくらべ」の(十三)で信如が大黒屋の前で下駄の鼻緒を切らしているところを美登里さんが庭から物陰に隠れて見ていて、手伝ってやりたいがこれまでの事もあり、ああどうしよう、という所を引いてみる。

 「・・・さまざまの思案尽して、格子の間より手にもつ裂れを物いわず投げ出せば、見ぬようにして知らず顔を信如のつくるに、
 「ええ、いつもの通りの心根」
と遣る瀬なき思いを眼に集めて、少し涙の恨み顔。
「何を憎んでそのように無情(つれなき)そぶりはみせらるる。言いたいことは此方にあるを、余りな人」
とこみ上げるほど思いに迫れど、母親の呼声しばしばなるを侘しく、詮方なさに一ト足二タ足、
「ええなんぞいの、未練くさい、思わく恥ずかし」
と身をかえして、かたかたと飛び石を伝いゆくに、・・・」(同書78〜79p)

 新潮文庫から同じ場所を引いて見る。ただし、「ええ」は旧仮名の字。このパソコンで出ない。

「・・・さまざまの思案尽くして、格子の間より手に持つ裂れを物いはず投げ出せば、見ぬように見て知らず顔を信如のつくるに、ええ例の通りの心根と遣る瀬なき思ひを眼に集めて、少し涙の恨み顔、何を憎んでそのように無情そぶりは見せらるる、言ひたい事は此方にあるを、余りな人とこみ上るほど思ひに迫れど、母親の呼声しばしばなるを侘しく、詮方なさに一ト足二タ足ええ何ぞいの未練くさい、思わく恥ずかしと身をかへして、かたかたと飛び石を伝ひゆくに・・・」(同書118〜119p)

 地の文と登場人物の心の言葉とが渾然と溶け合ってつくられる文章の妙味だ。カギカッコで截然と切り出すとその旨味が消えてしまう。一言で言って、野暮な文章になってしまう。

 さて、話を戻して、森銑三が、文庫本の字の細かさが読書の楽しさを奪うことを述べている。江戸の文学作品を文庫本で印刷されると、本文の活字も小さいが、そこへ割註をはめ込まれると、そのまた半分の活字になる。そんなもので読ませられるのはご免だ、と書いていたが、後年、その本が岩波文庫になったのだから皮肉なものだ。(柴田宵曲との共著「書物」)

 カフカも自分の最初の著作を出版するに当り、その活字の大きさ、組み方について注文を出している。大きな活字で1ページあたり何十字にすべし、というものだったという。その希望は叶えられ、1913年にローヴォルト社から出版された。『観察』という本である。活字はテルツイアというもので十六ポイントの号数の古称だそうだ。
 吉田仙太郎氏が、そのカフカの原本に近い形の日本語版を高科書店から翻訳出版している。この話もそのなかの栞に吉田氏が書いてあるのを引用しているだけで、私はそのローヴォルト社本を眼にした事はない。
 カフカ自身はこの本について「・・・いささか過度に美しいし、私のまやかしものよりも、むしろモーセの十戒の石版にふさわしい・・・」という感想を書いているそうだ。(同栞より)
 その美しい本の多くは、ナチスの業火に焼かれたのだろう。

 明治の文章は蚤の頭のような字で印刷されたもので読んでは、どうも面白みが無い。
文学作品に限らず、例えば中江兆民先生の文章でも、また幸徳秋水の文でも、ゆったり組まれた形で読めることが望ましい。
 良書出版の鑑である岩波文庫が、さらに工夫して、読みやすさの点で文春文庫などに負けぬ版型になってほしいものだ。
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# by zo-shigaya | 2007-12-09 12:33

小沢一郎氏に望むこと

11月13日
 民主党の小沢党首が辞意撤回をして続投をすることにしたのは日本の政党政治にとって嘉すべきことだ。
 メデアは喧しく裏の事情をさぐっている。裏にはいろいろな経緯があるのだろう。その事の真相はいずれ明らかになるとして、それ自体、大した問題ではない。
 また政策協議も悪いことではない。法案の内容についての歩み寄りや擦りあわせは、どこの政党同士であってもやって悪いことではない。必要なら、自民党と共産党が政策協議をしても不思議ではないし、多いにやったらいい。それが議会政治だ。

 問題は、小沢党首が、なぜ、一気に「連立政権」に進む「気分」になってしまったのか、ということだ。
 小沢氏は11月4日の辞意表明会見では「民主党はいまださまざまな面で力量が不足しており、国民からも「自民党はダメだが、民主党も本当に政権担当能力があるのか」と疑問が提起され続け、次期総選挙の勝利は大変厳しい情勢になると考えている。」と述べていた。
 11月7日の辞任撤回の会見の中でも、衆議院の勝利については楽観してはいられない、小選挙区で前回の三倍の議席を勝つことが絶対条件だ、この厳しい現実を直視しないで、参院選勝利の「勢いだけで勝てるほど甘くない」と述べている。

 この強い不安が、小沢氏をして、今回の「連立」の話に飛び付かせたものだろう。この厳しい選挙情勢の手応えと確信は、どこから生まれたかといえば、ここ1ヶ月くらいの小沢氏の動静を報じる新聞記事から推察するに、恐らく地方回りをした感触から生まれたのだろう。
 小沢氏が地方回りをして会っているのは、新聞の記事で見れば、ほとんど「連合」の幹部たちだ。彼らからどんな分析が出たか、詳しく報告されたものはないが、おおよそ内容は推測がつく。
 いわく〃民主党の組織は弱体だ、党員数も少ない、地方議員も少ない、足腰が弱い、選挙の時は連合頼みだ、議員や候補者の活動が見えてこない、エトセトラ、エトセトラ 〃 
 これが小沢氏をして、次の選挙では民主党はまだ勝てない、という悲観的気分に落し入れた、と私は見る。そしてこの分析に依存していることが、小沢氏のアキレス腱なのだ。「連合」依存意識が不安の源泉である。

 「連合」はたしかに民主党の最大の支援組織ではあろう。しかし、一歩地域と現場に足を踏み込んで、現在の日本社会の中での機能を眺めてみればよい。現在の「連合」は企業内組織であってそれ以上のものではない。市民社会の中にネットワークを持っている組織ではない。
 地方の「連合」の幹部諸君が、どの程度、地域のムードを読めているのか。
 彼らは地域全体の民意を示すバロメーターでもなければ、十分な民意のセンサーでもない。フリーター、派遣社員の大量出現という社会問題に対しての関わりを見れば、その事は歴然たる事実だ。
 その組織の幹部を回って歩いた感触で、今現在、日本の社会に流れる「空気」を判断しようとしたところに、小沢氏の致命的な誤りがあった。
 これで不安になり、焦りにかられて、一気に急襲して天下を取るしか術は無し、という気持ちになって「大連立」という甘言に乗せられた。

 小沢氏は、この時点で残念ながら「KY」であった。空気が読めていない、情勢分析の対象が間違っているのだ。
 ここで苛立たないで、「連合」の分析が当たっているのかどうか、を別のセンサーから分析すれば良かったのだ。それは他でもない、全国で「朝立ち、夕立ち」している自党の議員、候補者からの情勢報告である。
 そうすれば、民意は「連合」の分析とは違う形をしていることが見えてきたに違いない。ましてや読売新聞の論説のようなわけでもない、と言うことが。

 その輝かしい政治歴から小沢氏には「勇将のもとに、弱卒ばかり」という、すこしひがんだ感情があるのではないか。今回の辞意撤回を機に、そんなケチな思いは男らしく棄てて、天下堂々、自ら率いる民主党の同志に五尺の赤き肉塊すべてを委ねる、という捨て身の心境になられることを、期待するものだ。
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# by zo-shigaya | 2007-11-13 16:42 | 近時片々
 滅多に書かない時事ネタをアップしたら、たちまち大変動が起きてしまった。「大連立」(福田総理は「新体制」と言う)を持ちかけられた民主党の小沢党首が辞意を表明した。4日午後4時半ごろの記者会見をたまたまテレビのリアルタイムで見た。安全保障政策で福田総理が従来までの自民党の方針を大転換して「国連中心主義」にすること、「新テロ特措法」の成立にはこだわらないことを約束したので、国民生活関連法案の「政策協議」に応じることにしたい、という考えを役員会に説明したが賛同を得られなかったので、党首を辞任したい、というものだ。あえて今、民主党が政権の一翼を担い、参院選で国民に約束した政策を実現できれば、政権運営の実績を示すことができ、民主党への国民の信頼が増し、民主党政権実現への早道になると考えた、と述べた。
 ふう〜ん、なるほど、と思う気持もあるが、これってどこかで聞いたセリフだなあ。そうだ、細川政権が潰れた後で、自民党が旧・社会党を引っ張りこもうとした時、連立を受諾した社会党の側の理屈ではなかったか。
 あの時は自民党が社会党にすり寄ったもので、決して自民党の軍門に下ったのではない、社会党としては、それまでの万年野党、なんでも反対の無策政党、という汚名をばん回し、政権運営の能力と実績を国民に示して、悲願の社会主義政権への道を拓くべく千載一遇のチャンスに乗ったのだ。で、その結果は自民党に丸呑みにされて哀れな最期を遂げてしまった。
 自民党と連立を組んで生きながらえているのは公明党だけで後はすべて綺麗に消化されている。
 そのことをまさか小沢一郎たるものが、忘れるわけがない。仮に彼が首班の連立であっても、恐らく民主党も解党されてしまうことは確実だ。旧・社会党は村山富市を総理にしたのにもかかわらず消えてしまったのだから。
 それにもかかわらず、福田康夫とこうまで話があってしまう、というのは何なのだろう?
 外交政策で一致した、という事だけではなく、小沢一郎にとっては、福田康夫という人間はなんの抵抗感も違和感も感じさせない人なのだろう。そりゃそうだ、安部普三とでは世代間ギャップがありすぎる。麻生太郎とでは喧嘩になる。その点、福田康夫という72歳の宰相は、悪くない、と思ったのかな。
 ちょうど社会党が、相手の自民党の総裁は良識派の河野洋平だし、あんまり悪い事にはなるめえ、と思ったように、ね。
 「自民党崩壊」のところで、最高指揮官が勝手に敵将と会談されたら前線の兵隊はどうなるのだ、と書いたが、小沢一郎の行動も同じこと。連日、次の衆議院選挙に向けて、党首の「政権交代」の大号令のもと、孜々として活動している全国の民主党員の活動をどう考えているのか。大連立の場合、昔の中選挙区ではなく、小選挙区制度の下で、自民と民主の議席をどう調整していくつもりなのか。
 たまったもんじゃない。
こうなれば、民主党としては、ただ一人の人にすがるしかなかろう。
それは、江田五月だ。
彼を参議院議長から党首に転身させて起死回生を図ることが、最善の策だ、というのは団塊世代の世迷言かね。
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# by zo-shigaya | 2007-11-05 18:52 | 近時片々

自民党崩壊 11月3日

 衆議院で3分の2の絶対多数の議席を有し、世論調査でも国民の3割から4割の支持を得ていると思われる政権政党が、ついに崩壊した。と、思うしかない。
 自民党総裁であり内閣総理大臣という最高権力者の福田康夫氏は11月2日、民主党の小沢一郎党首に党首会談を呼びかけ、「大連立を打診」(毎日新聞11月3日1面見出し)したという。小沢党首は即答を避け党役員会に持ち帰り協議したが全員反対ということで「受諾できない」と伝えた、とある。
 もしも、小沢党首と民主党の役員会が連立を受諾した場合、福田総理は「小沢首班の内閣」も容認したのだろうか。
 最低でも小沢副総理だろうし、大臣の半分は民主党から出ることになるだろう。そうなれば、これは連立というより「政権交代」ということではないか。
 そもそも自民党ではこの提案をするにあたって役員会みたいな場所で決を取ったのだろうか。数日前の第一回会談を申し込んだ時に、誰やらが「連立構想などの持ちかけ反対」の釘を差した、とかいう記事が出ていたが、おそらく全党一致の提案ではなかろう。
 最高指揮官が真っ先に白旗を掲げたのを見せられて、前線の兵士がどのような思いでいるのだろうか。無血開城、敵前逃亡、など、政治家は軍人ではないけれど、この責任追及は免れないだろう。
 それとも自民党という組織はリーダーの指導責任などは期待していない人たちの集団だろうか。
 かくて自民党は、品の悪い表現で申し訳無いが、「馬糞の川流れ」状態になってしまった。
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# by zo-shigaya | 2007-11-03 12:19 | 近時片々

夜郎自大

07年8月9日
 今年の4月に「石原違い」という文を書いた。

http://zoshigaya.exblog.jp/tb/6704627

石原慎太郎と石原信雄という人が、いかに品性見識人格力量経験において違うか、を述べたものでありましたが、古い話をしたついでに、もう一つだけ書き加えておくことがあります。
 というのは、慎太郎が選挙の時であったか(発言の時期はここで特定しないが)「阪神淡路大震災のときに、自衛隊をもっと早く出動させれば被害が防げたのに、自衛隊アレルギーを持つ者がグズグズしていたために被害がひろまった」という趣旨の事を言った、という。

 事実を正確に書く。

 1995年1月17日の大地震勃発にあたり、ときの石原信雄官房副長官は、自衛隊の出動を要請したのである。彼は17日の午前9時前に官邸入りし、「大変な事態になる」と判断して、自衛隊法83条2項の「(都道府県)知事の要請を待つ時間がない緊急事態の場合」は要請なしで自衛隊を出動できる、という項目に注目し、これに基づき自衛隊出動を発議した。しかし、それは出来なかった。なぜか。それについては、石原信雄ご本人が後日、新聞に書いている。

「(自衛隊を出動させようにも、災害対策基本法では)自然災害の情報は、すべて国土庁防災局に集約され、被害がシビアなものは直ちに首相官邸に連絡が来るようになっている。そうしたマニュアルが決まっているのに、今回は元(防災局)が動いていなかった。防災局に正確な情報が入らず、防災局自身が事態を把握するのに多くの時間がかかった」毎日新聞1995年1月29日

 この当時の国土庁防災局への情報伝達入力の入り口は地方自治体である。その自治体の各部門では、というよりは首長をはじめ無事な職員は自分の身の廻りだけしか把握できない状況であり、自衛隊に出動を要請することはおろか、国土庁への連絡もままならない状態だった。

 さらに、時間をおいて出動した自衛隊の先遣部隊がつかんだ情報は無線で中部方面総監部を経由して防衛庁・陸海空各幕僚監部の専門家を配置した情報・指揮センター(CCP)で一本化されることになっていたが、最初のレポート「各自衛隊の対応」が出来上がったのはその日の午後5時。
 
 毎日新聞に載った陸幕監部の言葉として「テレビの方が全体像をつかめた」とある。 
 リアルタイムで画像をCCPに送れる「映像電送装置」は、この頃は一台しか備えていなかった、という。
 こういう体制であったのだ。

 自分は平時にぬくぬくとしていて「乃公いでずんば天下になにごとかあらん」などと大言壮語してイキがっているのを、西郷隆盛は「夜郎自大」と罵倒した。

 巡り来る9月、防災の日を前にして、首都東京の安寧無事を心から願うものである。

(ps.書いて蒲団に入ってから、あれ、たしか「夜郎自大」であったな、と気が付きましたので、こっそり訂正しておきます。8月10日)
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# by zo-shigaya | 2007-08-09 12:56 | 近時片々

ニャン子、元気か

07年7月4日(水)晴れ、曇り。
 朝、具合悪い。午前中はぐったりしている。
 『中江丑吉書簡集』を少し読む。
 サーヴィスの『レーニン』上を読み続ける。

 動きたくないが、芦屋の他施設見学会で、午後3時から山の上まで行かねばならない。自分で企画して作ったスケジュールだけど、つらい。帰ってきて懇親会もある。
 8名参加。高瀬ペパーミントセンターと山の上に今年の4月に出来た小規模複合福祉施設を見る。以前の元の○○小学校を改装した施設だ。学校変じて福祉施設か。居住性という点で随分改装に苦労しただろうなあ。

 このあたりは、今月初めに保護してした迷子のトラ猫の生地だ。その後、飼い主が実家に連れ帰ったというから、なんとなく懐かしい。あすこらへんの家の庭で遊んでいるのかしら、子猫たちは無事産まれて元気にしているのだろうか、と気になる。まるで知りあいの人を心配していると同じ気分(!?)。風邪で気が弱っている証拠だ。

 帰ってからの懇親会には+4名。

 帰って八時半。愛恋が帰宅していので、少しおしゃべりして、シャンパンを三杯。

 こんな日々で体調が悪い、吉本ばななの『日々の考え』にへばりついて抜き書きなどしているのが唯一の癒しだ。元気になったらブックオフに行って、彼女の本を探してみよう。
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# by zo-shigaya | 2007-08-08 18:23 | 近時片々

テント公演

07年7月3日(火)曇り、昼前から雨、午後曇り
 朝、眠くて起きれない。頭が痛い。風邪薬を飲む。具合が悪い。声もまだ十分でない。一日寝ていたい気分だ。

 午後五時半から宝塚神戸野外公演。私の車は環太平洋の送迎に貸したのでベンツで行く。バリバリ飛び出す馬力は魅力的だ。テントにイスを並べて手際良く会場設営。リッツホテルの人たちの協力という。2500人を越える観客が集る。芦屋からバス10台で動員の成果もある。
 帰りは愛恋とグルミンさんを乗せて9時半ごろ帰宅。食事しながらお酒。白ワインをグラス三杯に日本酒を一合半くらい飲む。なんでこう酒びたりなのだ。
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# by zo-shigaya | 2007-08-08 18:08 | 近時片々

ケンケン相和し

07年7月2日(月)薄曇り。
 体調悪い。声が満足にでないと頭まで悪くなるのか。
 本日はクレーム処理とお詫びに。

 夕方少し早く(6時ごろ)帰宅してビールを飲みながら犬たちを眺めている。心豊かな時だ。居間の窓から珍しく二匹が仲良く首を寄せて庭を見ている。
b0008252_175286.jpg

もっともこの瞬間でも、庭に猫の影やら塀外を散歩する犬の気配でもあれば、猛然と吠え声を上げて威嚇する、という事態がしゅったいするのであるから、それに負けぬダッシュで拙も裸足で飛び出して怒鳴りつける、という離れ業を披露せねばならぬ。
 日々これ精進、でありますな。
 夕食はミネストローネを作る。トマトとレタスのサラダを作る。最後に焼きうどんを食べる。そして、結局、お酒を飲みすぎてる。
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# by zo-shigaya | 2007-08-08 17:58 | 近時片々

吉本ばなな

07年6月29日(金)雨、久しぶりの雨。ほとんど終日降る。
 どこに行くあても無く、茫然としている。
 吉本ばなな『日々の考え』(リトル・モア2003年12月刊行)1,200円(ブックオフ                                    105円)
 この人の作品は最初の「キッチン」だけしか読んだことがない。そして「キッチン」が世に出てから昨年で20年という。う〜ん、あの頃、丁度ウイリアムが高校に入ったのかな。
 出てすぐの頃に新作の文芸小説なんかあまり読まない愛恋が、これは面白いよ、と褒めていたのを思い出す。
 知りあいのフランス人に、これ翻訳したら、と薦めていたようだが、彼女の好みには合わなかったようだ。たしかその時の感想では、フランス人には普通すぎる、というようなものだった。でも今では、吉本ばななほど海外での翻訳が多い作家はいないだろう。村上春樹以上じゃないのかな。韓国でもメキシコでもヨーロッパでも旧東欧諸国でも、共感を持って迎えられている(らしい)。
 
 これは雑誌連載の日々のエッセイ集。なかなかいい。見栄やはったりや取り澄ました虚栄が無い。頭の良いところや勉強の成果を強調しない。りきまない。押し付けない。
 下ネタにも平気で、ホラーが好きで、オカルトにもはまっていて、アニメおたく。
しかし、借り物の感性ではないところが、そこはかと無く好感を感じる。
 これは彼女自身の言葉を借りていうと、レオス・カラックスの映画を評して「やはり、監督が全部自分の言葉だけで、恥ずかしくても甘く見えてもアホでも、自分のイメージを語ろうとしているから好感が持てるのだろう。それはすごく勇気がいるのだろうなあ、と彼の身になってしんみりした。」p39 という感想と同じだろう。
いくつか引用させてもらおうか。
 食べ物について
 「私は食べるのが人一倍好きだ。美味しいものを好きな人たちと時間をかけてたべることはすばらしい。人生の最高の幸福のうちの一つだと思う。・・・でも食べることが一番の目的になったらそれは人ではない、動物だ。いやうちの犬や亀でさえ、食べる喜びは散歩と競っている様子なので、犬や亀に劣る存在になってしまう。」・・・「「一番したいことは?」と聞かれて「おいしいものを食べること」という答えを聞くと、私は、どうしてかげんなりしてしまう。他に遣るべきことがあるだろう!とどうしても思ってしまう」p86

「たまにつきあいで普段行かないたぐいの店に行くことがある。言い方は悪いけど、中途半端な値段で自分でもつくれるものを食べさせるちょっとおしゃれな店だ。そこでみんながおいしくもない油っこいものをがつがつ食べている様を見ると、どうしても浮かんでくるのは「家畜」という言葉だ。なんだか日本の社会がどうしょうもない状態なのを、安い食べ物を雰囲気でごまかしてふんだんに与えることで、ごまかされているような気がするのだ。どんな外国に行っても、こんな中途半端な店がたくさんあるところはない。」 p88

「せめて同じ千円出すなら、量ではなくて出す食べ物に誇りを持つ店に使おうよ〜。
同じ鞄を買うなら、自分のライフスタイルに合わせて買おうよ・・・
どこに持っていくの?その鞄を。
いつはくの、そのパーテイ用の靴を。
なんでワンルームに住んでいてシャネルのバッグ置いてあるの?
東京しか走らないのになんでまたそんなでっかいタイヤの4WDが必要なの?
コンピューターと携帯どんどん買い替えても出きることの大筋はどう違うのよ。
それはあなたの人生に必要な機能なの?
そのお金と時間はもったいなくないの?
もちろん好きに生きていいんだと思うけど、何が何だかさっぱりわからないだ・・・。
などと熱くなってしまうのは、やっぱり私がものすごくいやしんぼだからだろう。
いやしんぼにしかわらないこともある。」p91
 まっとうな、賢い娘だ。

 オカルト本について
「・・・ある日、急に頭の中がどうにかなってしまい、この世の仕組みがわかったような気持ちになることは私にもある。でも、それを本にしようとはやっぱり思わない。
それは「どういう人かまだよく知らない年上のエロいお姉さんへの恋心に燃え上がる童貞中学生男子の語る真実の愛」のようなものなのではないだろうか。
それほど切実だが信用できないものはない。」p94

 パンチパーマでジャージ、雪駄履きのリスキーなスタイルのリトルモア社長竹井さんについて
「私は下町の出身なので、ああいう外見でもちゃんとした人とそうでない人っていうのは何となくわかる。
 ああいう外見でちゃんとしている人っていうのは、日常の生活や趣味や収入を得る方法はいくらへだたっていても、果てしなくちゃんとしているのだ。
サラリーマンのほうがよっぽど下品な場合が多いのだ。」p115

 健康法は好きだけど・・・そしてココまで言うか、爆笑。
「(気功ってすごいと思うけど)今まで会った中国の気関係の人、みな、どことなくだが、エロいのだ。多分、パワーがあがると精力も増強され、おのずとギラギラてかてかひかってしまうのだろうけれど、多分その上の世界があるだろう?そうだろう?なあ、頼むよ、と私は思っていた。力を得ることの条件が性欲も炸裂というのでは、なんとなく、人間というものが空しい気がするんだけれど。・・・私はこれまでの人生、なるべくレイプされないように生きてきたつもりなのだが、非合意で穴に指を突っ込まれたのは、気功のおじさんだけである。体の調子がどれほどよくなろうと、私は合意でない人に穴を許したくないのだった。」p147

 後半はインタビューが収録されている。

その中で自分のスタンスについて
「例えば(私はそういう経験を一回もしたことが無いんで本当に"例えば”なんですけど)、よくみんな、結婚するというので、相手の田舎のお母さんとか、お父さんに挨拶に行くでしょう。
そうすると、もともと知りあいでもなんでもないのに、急に”お母さん”とか”お父さん”とか呼ぶ。よく考えてみれば、これってすごく変なことでしょう?
慣れてきて、そんな気がしてきたら呼べるかもしれないけど、いきなり今日からっていうのは、本当にわかんないですね。
相手の親のほうは、急に呼び捨てになっちゃったりとか。
それは、女性上位とかそういう話とは全然関係なく、まったく理解できない。
・・でも、たいだいそんなようなことで世に中が成り立っているというのは、よくわかるんですよ。
確かに成り立っているんだけど、『ちょっと変だと思いませんか』みたいなことはよく書いているような気がする。
そういうことを書くことで、みんなも本当はわかってないんだけど、『こういうもんなんだろう』と思ってやってることを、代わりに熱心に考えたんじゃないかなって」
  〜集団性、同質性への皮膚感覚的(本能的)な異和感。

 批評について
「批評を書く人は、小説なら小説を書いた人が何をしたかったのかをいうのを、まず把握してないといけないと思う。そえrもかなり正確に。それがわかっていないと、作品がどこまで到達してるかが批評できないから、あんまり意味がないような気がする」

 (インタビューアー「作家が目指したものを、きちんと測るということですね。)
「じゃないかと思います。自分の好みにかかわらず測り、測った後で何を言えるか、というのが批評だと思う。
まず正確に測ってもらわないと、書いたほうとしては、その作品をすごく好きだという批評を見ても、腹が立ちますね。
『全然わけのわからない角度から見てるな、これじゃ読者じゃないか』と思って。
読者は何を言ってもいいんですよ。作品は読者に属するものだから。
でも、批評家というのは、作品と読者の間に入ってる人だから、読者というだけだと困るな、ってよくプリプリ怒っています。」p200〜201

 亀が好き、犬が好き、猫が好き、家の中は動物園みたいだという。

 なんでかは分からないが左目がチカチカしてえぐい。風邪の症状か。
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# by zo-shigaya | 2007-08-04 17:44