ん、誰か呼んだ?


by zo-shigaya

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本の重さ

 日本の全集本というのはなぜこんなに重いのだろう。重さがその内容の重要度を示しているとでも言うように、べらぼうに重い。近辺の本の重さ比べをしてみると、なかでも岩波の「新古典文学大系」が重い。少し高いところにあるのを取ると取り落としそうになる。こんなのを手に持って読書するわけにいかない。余程手の丈夫な人でないと怪我をする。
 古今亭志ん生の「道具屋」で、客がそこにある箪笥の引き出しを開けてみせろ、というと、これはなかなか開かないんです、この間も無理に開けようとした人が手をくじいちゃった、この箪笥は手の丈夫な人に買ってもらいたいです、と道具屋が言う。
 この伝で言えば、岩波書店の全集本は手の丈夫な人が読む、ということになるか。

 恩師故・小松茂夫先生は、身の丈180cmを越える偉丈夫であられたが、先生の思い出話に、戦後の食料事情の良くない時期にヒュームの翻訳をしていて、OEDを本棚から持ち下ろすのが一苦労だった、とおっしゃっていた。
 現在の拙は、栄養状態において欠けるところは無いが、生来の虚弱ではあるし、金と力も無い。さればといって昔から言われるような○○でもない、まあ普通の人だろう。それがかほどにブツブツと本の重さをこぼすというのは、同じ全集でも、そうでも無いものもあるからである。

 例えば戦前の最初の芥川竜之介全集も、厚さはかなりのものだったが、本文に和紙を使っているためか、ふわっとした感触である。大学一年生の夏休みに、蚊帳の中に持ち込んで読み耽った思い出がある。表紙の装幀が蚊帳と同じような織物の生地で夏向きだった。
 昔の本で『伊藤博文伝』などは背の厚さが10cm以上あるし重量も相当あるが、重い、という感触が無い。明治時代の刊行の「日露戦争記念記録」などという本も背のつかみは掌一杯になるが、手首にぎくりと来るような重さは無い。

 近時の岩波の全集本は、厚さに比して重い、「硬い重さ」を感じる。
 貴重な「近松全集」も岩波本だ。日本文化の国宝のような全集で、有り難いけれど、これまた重い。終日同じ机に座って読書する環境に無い者には、これをカバンに入れて歩くわけにも行かない。意を決してカッターナイフで作品ごとに切り分けた。哀れ、古本としての売却価値はゼロになってしまったわけだ。
 こちらの読書に懸ける不退転の決意を示すことにもなるけれども、なんとなくいたわしい心地がしないでもない。

 紙の質の良いものを使い、細かい注釈や頭注を鮮明に印刷して、かつ、裏写りのしない密度の高い紙を使うためにどうしてもこの重さになるのかもしれない。作る方にはやむをえない事情があるのだろうが、読書をするものには、やはり本は抱いたり撫でたり、掌中において玩弄する楽しみも味わいたい、という気持がある。軽くて扱いやすいからといって、いつも文庫本ばかりではつまらない。
 そういえば、昔、袖珍本というのがあり、私の手許にも「幸田露伴集」上下がありとても美しい小型本で、掌の楽しみは味わえるが、字が細かすぎて、現今の拙の読書には不向きとなった、無念。
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by zo-shigaya | 2007-03-28 12:43 | 読書メモ

松柏砕かれて

 隣のパチンコ屋が廃業して、解体屋さんが更地にしている。砕かれたコンクリ片や鉄骨がそこここに積みあげられている。すっかり視界が開けて別の世界が開けたようだ。
 もともとこの土地は私の親の所有地で、製材所の材木置き場に貸していた土地だ。その端に国道が通ることになって補償や代替地などのことで、店子の製材所がごたごた言うものだから、短気な母親が貸している地所を半分、600坪をただで呉れてやって殘りを明け渡させたものだ。ただで貰った人は、今から20年前にその土地をパチンコ屋に売却して廃業し、行き方が知れない。
 そして一時全盛を誇ったパチンコ屋さんも、本業の砂利生コンの販売が不振で廃業となったというわけだ。その跡地は他所の不動産屋が買ってチェーン・ストアがテナントに入るという。
 春霞が薄くたなびく夕暮れなどに、空っぽになった空間から、子供の時から見慣れた東側の里山が静かに見えるのを、思わず眺めてしまう。

 その時、口をついて出るのは芭蕉の句、

  草の戸も 住み替わる代ぞ ひなの家

 いよいよ奥の細道の旅に出るために人に譲った芭蕉の草庵は、移り住んだ家族が雛人形などを飾って、すっかり趣きを異にして「人生流転の実相を感得した句」と通常は解釈されている。
 それはそれでよいのだろうが、「奥細道菅菰抄」という安永七年(1778)に書かれた注釈書によれば、借りた人は雛を商う人で芭蕉の庵を借りて売り物の雛を入れ置く場所に使っていたのでこの句がある、と解説している。
 実際の雛人形が飾られていたわけではなく、雛を入れた大小の箱が所狭しと積み上げられているという光景らしい。

 なるほど。愛恋女史も有数の雛人形の蒐集家であるが、長年の収集品が溜まって十畳ほどの部屋がまるまる雛箱によって埋まっている。本当に場所を取る。まして雛商人であれば、手近な倉庫が商売の必需であるわけだ。
 時節も旧暦の二月末、雛の節句に近い。元禄の芭蕉の頃(1680年代)、すでに雛飾りの風習は江戸において隆盛となっていたわけだ。雛の歴史は時代によってさまざまに進化変転している。この頃の雛の特色については、一度、愛恋女史から教えを受けねばならない。

 過日(三月初め)、縁あって、岩手県稗貫郡大迫町(現在は花巻市に合併)で開催される「宿場の雛祭」を拝見した。ここは明治期から宿場として大変栄えた町ということで、各家々にそれぞれ素晴らしい雛人形が所蔵されていた。現在の町の有りようと比して、それこそ全盛の時の賑わいが偲ばれて、まさに人生流転の実相を感得させられたものだ。
 今年は旧暦が遅くて、今日で二月九日である。暖冬であることも幸いして、風景の変容がひとしお芭蕉の句を身近に感じさせてくれる。
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by zo-shigaya | 2007-03-27 11:49