ん、誰か呼んだ?


by zo-shigaya

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思い込み連想ゲーム

 文庫本の『言いまつがい』を愛恋が読んでお腹をよじっていた。糸井重里の「ほぼ日」に載っていたものだ。
 覚え間違い、あるいは思い込みというのはあるもので、あるとき、エッと気が付くことがある。これを訂正したり、教えていただく機会を持つことは有り難いことだ。
 似た名前の混同なら訂正は簡単だ。例えばルネ・クレールとルネ・クレマン、レスター・サローとナントカ・ソロー、これらは後で調べればよいからまだいい。
 与謝蕪村と与謝野晶子は夫婦でした、というのは我が家の子供たちの爆笑ネタだが、これは小学校の先生が言ったことだそうだ。
 勝手な思い込みはなかなかチェックが利かないものだ。そんな例のひとつをご紹介しよう。
 平岡昇と平岡篤頼が親子だ、という思い込みだ。同じ大学の同じ学部にいて、片やフランス史、片やフランス文学だもの、部外者は間違えてもしようがない。年齢も昇氏が1904年生まれ、篤頼氏が1929年生まれだから丁度、親子だ。本人にでも確かめなければなかなか真実はつかめない。
 この間違いは、4年前、仏文学者の清水徹さんとお会いして、おしゃべりをしているうちに、「それは違いますよ」と言われて知った。
 しかし訃報などを見ても、誰それと親子、または親戚、愛人という記事はたまに出るが、誰それと誰それは名前や年齢からみて、いかにもありそうにみえて、実は関係はありません、とはなかなか出てくることはない。姻戚などの誤った思い込みが訂正されるチャンスは少ない。 
 で、この間、その平岡昇さんの意外な履歴を知る機会に恵まれた。
 近くのいきつけの古本屋の安売コーナーに昔懐かしい朝日出版社の対談講義シリーズが何冊か並んでいた。
 その中に『人はなぜ怒りを謳う〜ナショナリズム講義:平岡昇+安岡章太郎』があったので200円で買ってパラパラと読んだら、
平岡昇さんは1904年福岡生まれ。東大仏文科卒、東大教養学部教授、早稲田大学教授を歴任。18世紀フランス思想、文学でフランス革命の研究者で主としてルソーが専門。ここまでは私でも知っている。
 それからが意外だった。福岡玄洋社初代社長・平岡浩太郎の甥で、さらに玄洋社から出た黒龍会の創立者・内田良平の従弟にあたるというのである。大アジア主義の源流の方であった。そしてこれまたこのテーマには縁遠いようなお相手として、安岡章太郎が選ばれたのは、安岡章太郎の奥さんの父親が、平岡さんと従兄弟同士という縁なのだそうだ。
 自分の出自に対して次にように話している。
「柄にも無くこんな話に引っ張りだされることを私が承諾しましたのは、あなた(註:安岡)がおっしゃったように、「右翼」の源流に自分の生い立ちがかかわりあって、右翼はいわば自分の運命みたいなものだという気持ちが、歳を取るにしたがって生まれて来たからですが、なにぶん私の青少年時代は右翼が一番マイナスの面を露出した時代で、私なんか右翼と聞けば拒否反応を起こしこそすれ、何の親近性も感じなかった。だから、この問題はできるだけさけて通ったんです。・・・青年時代の私の眼には、すべて右翼は一口に言って時代遅れのおぞましいもの、それだけでなく時代の進歩を阻害する有害な存在でしかなかった。」6〜7p

 別の解説では平岡昇は福岡時代、石川淳にフランス語の手ほどきを受けた、ともある。そして東大教授時代、澁澤龍彦の先生であったそうだ。早稲田でサドを研究したい、という学生がいると「僕は良く知らないから澁澤君を紹介しましょう」と言ってくれたのだそうだ。愛恋も相談してみればよかったね。

 この対談では安岡章太郎の近代日本史へのきわめて的確な見解が聞ける。「二・二六事件に比して海軍が起こした五・一五事件に対してはやたら評価が甘いのだけれど、これで戦前の政党政治が潰れてしまったのだ、大体、海軍のテクノロジー万能的な発想は無責任だ、山本五十六が偉いと言うけれど日米の戦力比較を問われて「開戦して一年間は随分暴れてみせますがその後はどうなるか判らない」という発言など無責任極まる、当時の地位からすれば、なぜはっきり「ダメです」と言わなかったのか、などなど。
 なかでも中江兆民を「きわめて聡明な人だ、このように聡明に生きていくことが日本人には大事だ」と言っているのは、兆民評価として貴重でレアな視点を提供してくれている。この点から兆民を読み直したいと、拙は発作的に思っております。

 安岡章太郎がこんな立派な見識を持つ人だとは知りませんでした。これまで『質屋の女房』とか『青葉繁れる』などの短編ぐらいしか読んだことがない。これらの短編からは、いわゆる「学校秀才」が大嫌いな人、という印象は持ったけれど、このように鋭利にして確固たる人間観察の持ち主だとは夢にも思わなかった。
 ところで、安岡姓から、安岡章太郎は陽明学者安岡正篤の甥だ、なんてことはないでしょうね。それは安岡章太郎を権威付けることではなくて逆に貶めることにもなるのですが。
 連想ゲームみたいな話しになったからついでに書いてしまうけれど、歴代総理の指南番とか、「松下政経塾」の相談役として名を馳せて、今でも良くモノを知らない保守の中国思想ファンが持ち上げる安岡正篤は、私の実家の芦屋方面では、ボロクソに言われている。戦前から陽明学の英才として地方人士にもてはやされ拙の実家などにも何度か講演に来ていたらしいが、戦後の混乱期、藁にもすがる思いの地方人士に対して「農地解放に次いで山林解放が行われることが決まった」という情報を流した。あの先生が言うのだから、とウチの地方の山林所有者たちは、争って山の木を皆伐して売り払った。新円切替え前ですから、全山伐採して売り払っても何百円、という金額だったそうだ。それがガセネタだったのだからたまらない。何百年か撫育涵養した美林は哀れ煙のごとく消えてしまったわけだ。
 安岡章太郎さんに言わせれば、陽明学を学んだ新潟の河井継之助なども実に商売にたけた人間だったというから、このようなどさくさした行動は陽明学者たる安岡正篤の本領発揮の姿かもしれない。知る人ぞ知る、だ。
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by zo-shigaya | 2005-07-29 18:48

子供あつかい

 いつの頃からか、レジでお勘定してお釣りのお札を渡すときに、客の目の前で1枚2枚と数えて渡すのが流行している。スーパーやコンビニだけかと思ったら、青山の、いつも朝飯を食べに行くアン○センでもやっていたのには、正直、がっくりした。幼稚園の子供になった気分だ。下手な手品師のような手つきで、お札を客の目の前にかざして、「イチマ〜イ、ニマ〜イ、サンマ〜イ」と数えて見せる。「ハーイ、僕、良く見ててね、全部でいくらかな〜」と言わないだけまだましか。
 どうせなら手品みたいに、「たしかにあったお金が、アラ不思議、ありませんね」と言って遊ぶなら、まだ許せる気がする。
 これも、渡したのに足りない、とかのトラブルが多発したためかもしれないが情け無い。
 5年前の6月、アルゼンチンのブエノスアイレスにいた時、タクシーの運転手の見事な手品には感心したものだ。夕方、薄暗くなってからタクシーに乗って勘定をして降りる段になると、例えば5千円のお釣りだとすると、5千円札を渡すふりをして、すばやく掌の中の千円札とすり替える手口だ。こちらは現地通貨に明るくないしどれも同じような色模様だからすぐには判らない。降りて明るいところで良くみれば、あら違う、と判った頃にはすでに赤いテールランプが小さくなっている、という早業だ。
 そのほか、改造タクシーメーターはあり(通常の3倍くらい早く廻る)、メーターは下ろさないで着いてから向こうの希望の?金額を言うのもあり、道順は乗るタクシーによってすべて違うということもあり、今日はいくらで辿り着けるかしら、というのが日々の楽しみのようなものだった。
 日曜日は首都の官庁街はほとんどがお休みだからガランとしている、そこへやって来て、家から持って来たとおぼしいゴミを盛大に捨てていく車がある。それが秋風に(南半球ですからね)吹かれて広場に散乱していくのを見て、財政破綻した日本の未来を見せつけられるようで、なんとも侘びしかった。
 それを防止するべく、正しく明るいお金のやり取り実現のために、私たちはあんぐり口を開けて、「イチマ〜イ、ニマ〜イ、」に慣れてゆかねばならないのだろうか。やだやだ。せめて青山だけではやめて欲しい。こんなことを熱心にやり過ぎると、今にお菊さんの怨念が取りついて、いくら数えても数えても、足りなくなるぞ、ほんとに。
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by zo-shigaya | 2005-07-27 12:15

遥かなる腰痛

腰痛になった。我が人生2度目のことだ。最初は、たしか○麻君を殿様に出す年の夏、中腰で片づけモノをしていてギクっとなった。這うようにして針治療院に行って治療を受けているとき、そばのラジオが川崎市を舞台にしたルクルートコスモス疑惑の報道をしていたのを覚えている。随分前のことだ。
 今回の腰痛の原因は、2日続けてのゴルフのせいだ。1日目は次の日の予習ということで廻ったのだ。生来虚弱のくせに、へんにモノに凝る癖があるからこんなことになる。常人の3倍くらいの筋肉疲労を起こしているところに、次の日は一日冷房のあたる部屋で仕事をしていた。腰痛を引き起こす2大原因をクリアしていたわけだ。
前日の午後から腰部の重苦しい症状がはじまり、夜中不快な鈍痛が走り、朝、ベッドから起きようと立ち上がったら激痛のため動くもならぬ状態となった。
 慈愛海よりも深い愛恋公女様は、ただちに日頃懇意の鍼灸師に往診を依頼し車で迎えにいってきてくれた。可愛い盲導犬ともども出張してきてくれたKさんは、車に轢かれたヒキガエルのごとく倒れ伏す拙の、背中から腰、足に無数の鍼を突き立て、浅間山のような煙を上げて灸をすえてくれた。実に朝7時半のことでありました。
 瞬間治癒というような劇的展開には至らなかったが、これでなんとかロボット歩行が可能となり、気息蜿々としてその日の業務に出動できた。有り難い。
 スポーツはカラダに悪い、と日頃から吹聴しているわりには、用心の悪いことだ。発症してから今日で5日目になるが、まだ腰部にしこりがある。完全に緩解するまでにはしばらくかかるだろう。普通、整形外科などに行くと、このような筋肉痛は全治3週間、という診断をくだす(ようだ)。炎症が治まりもとの組織に戻るのに一般的にこれくらいかかる、ということだ。筋肉の記憶は3週間か、と面白く思ったが、その伝でゆけば、心の記憶はどれくらいなものか、ある定式があるのだろうな。
 それにしても、愛恋公女の、いつに変わらぬ即断即決、事態解決への迷うことない行動には、ただ敬服の極みである。いつの日か、これに報いるに千金万金を積んで報謝をいたしたいと深く心に刻んで、その記憶がどれくらい持つか、を試してみるものである。
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by zo-shigaya | 2005-07-22 12:44