ん、誰か呼んだ?


by zo-shigaya

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ワンダの丁稚奉公

 学生時代、古本屋通いが趣味で岩波文庫の絶版本などを掘りだしては悦に入っていたものだ。その後、古久根達郎さんという、古本屋さんから作家になった人の日常を撮ったテレビ番組で、執筆の参考文献に使った本を自分の店の本棚に入れて商品にしているシーンがあった。情報のリユースとして有益であると共に、精神衛生上もすっきりとしてムダが無い、いい感じだった。
 歳月はめぐってワンダの身の周りには累々たる書籍がはびこっており、本人は否定しても、死蔵という状況下にあるやに見える。確かに、自分でも鬱陶しい。これまで2,3度ブックオフに持ち込んでみたが、痩せても枯れても拙者の知的集積が、十円百円という値段はさてき、知る人もなき無人の荒野に放擲されたような感じでどうも寝覚めが良くなかった。
 そこへ、さる人のメルマガでアマゾンマーケットプレイスへの出品という記事が出ていた。ほっほー、これはよい、人もするなる古本屋稼業を我もするなり、と3月1日より始めた。
 これが、なんと、面白い。古物商の鑑札も不要で、第一、当該の本に関心を持つ人のところに引き取ってもらう、というが嬉しい。
 書評や広告を見て通販で買った本は、読んでいくうちに、なんだこりゃ、という感触を持つことが結構ある。でも、買ってしまったものだからそのまま放擲するわけにもいかず、通読する気力も続かない、そのうち、そのうち、という読むでもない読まぬでもないニコゴリ状態にある本たち、この本たちに新しい空間に羽ばたく可能性を与えることが出来る。
 さらに、笑うだろうが、荷造り作業を行なうことによって手先のリハビリが出来る。
大きさの違う書籍を、適当なサイズの封筒にいれて、きれいに梱包し宛先シールを貼り、ヤマトのメール便で出す、というのは、今までの座り仕事と違う労働で、習熟するのにある過程(パッセージ)が必要である。最初は、ア、糊、ア、ハサミ、封筒、セロテープ、ワッ、くっついた、破れた、なんてことだったが、今では流れるごとくに作業を進められるようになった。大体一冊7分で梱包完成させるまでに生産性が高まった。
 それに加えて、アマゾンに出品することで、「時間制限付き恐怖の待ったなし読書」遊びができる。アマゾンでは「メールを受け取ってから24時間以内、2営業日以内に発送する」というお約束がある。そこで、この頃評判の小説本で、積ん読していたのを出品する。大体買い手が付く。「売れました、すぐ発送してください」というメールが来る。それを受け取ってから読み上げるのである。単行本で日本人の書いた小説ならば、2〜3時間あれば通読できることが判った。
 なるたけ折り目をつけないように丁寧に扱いながらヒューと読み上げて発送するというのは、快感である。集中力が高まる。通読の習慣が付く。これは釣った魚に餌はやりたくないが売れる魚は食ってしまう、という心理かね。
 ちなみに、アマゾンは出品料は無いが売れると手数料として一冊100円、さらに販売価格の15%が徴収される。販売料金の受け渡しは事前に登録してある銀行口座から自動引き落とし、自動振込。出品のときには、手許にある本の書名をアマゾンで検索すれば、現在流通している本であればすぐ出てくる。その価格の下にアマゾンマーケットプレイスでのユーズド価格というのが出ているから、そこから簡単に出品できる。
 最初は(恐らく)新刊書籍販売リストだけだったものを、このようにすぐユーズド市場に転化させて、かつ自動処理システムに仕立て上げたというのは、大したものだ。
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by zo-shigaya | 2005-03-25 17:38

僕の夢

「だべろぐ」で『月がとっても青いから』が出ているのを見て、僕の場合はなんだろう、と考えたら、『あん時ヤ土砂降り』が忽然として記憶の中に浮上してきた。不思議なものだ。電子ブックで歌詞を見てみた。

「あン時ゃどしゃ降り」
歌:春日八郎
作詞:矢野亮
作曲:佐伯俊お
あん時きゃ土砂降り雨ん中 胸をはずませ 濡れて待ってた街の角
アア初恋って言う奴ア 素晴らしいもんさ 
遠い日のこと みんな夢 ひとりしみじみ 思い出してる雨ン中

あん時や土砂降り 雨ン中 離れられずに 濡れて歩いた何処までも
アア別れるって言う奴ア たまんないもんさ
辛い運命を うらんだよ
ひとりしみじみ 思い出してる 雨ン中

あん時や土砂降り 雨ん中 やけのやんぱち
濡れて泣いたぜ 思い切り
アア思い出って言う奴あ ほろ苦いもんさ
今じゃあのこも どうしてか ひとりしみじみ 思い出してる雨ン中

 こうして3番まで歌詞を眺めるのは初めてだ。これがラジオから流れて来た時、僕は喘息で寝床でゼーゼーひーひーいっていた。小学4年生くらいかな。
 この歌を聞いて、我が身の置かれた現状とのあまりに大きな違いに、おそらく厭世的な気分になったと思うでしょ。ところがさにあらず、逆に、初恋をするころには丈夫になるんだろうな、いや初恋をするようになればずぶ濡れになっても平気なくらい丈夫になれるんだ、という自分の将来の健康への安心感を感じたものだ。なんという楽観主義、楽天主義!
 だいたい演歌にかぎらず流行歌は、一番から三番まで通読していちいち歌詞の内容に納得して愛唱するものではない。この歌もラジオで聞いただけだから「あん時きゃ土砂降り雨ん中 胸をはずませ 濡れて待ってた街の角 アア初恋って言う奴ア 素晴らしいもんさ」と、ここだけが耳に残っている。その後の「遠い日のこと みんな夢 ひとりしみじみ 思い出してる雨ン中」という歌詞は覚えていない。ただ歌の印象は、出会い、別れとあるけれど最後は自足円満な境地で振り返る、という感じだった。通して読めばまったくその通りで、いろいろあったけど、今はこうして幸せだあ、という安全地帯へ逢着した歌だから、まあ、子供の感受性は正しい。
 菅原都々子の『月がとっても青いから』も同じ時期の歌じゃないかな。それも覚えているけれど子供にとっては世界が違う大人の歌だった。下心ありあり、という風に感じた。
 春日八郎の声がさっぱりした高音であったせいもあるのだろう。
 ずぶ濡れの初恋には縁が無かったけれど、一般的に若い男女の激しい雨の中での出会いと別れというイメージは悪くない。「だべろぐ」さん、こんな映画撮ってください。
 豪雪の中の初恋というのもいいかも知れないが、鼻水やしもやけが付き物だからあまりお奨めではありませんな。
 思えばたしか和田アキ子に「土砂ぶりの雨の中で・・・」という歌詞の歌があったね。あれは現在進行形で淵から上がってこれないような印象だった。濡れッぱなしじゃ風邪引くよ。・・余計なお世話だね。もう寝ます。
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by zo-shigaya | 2005-03-16 21:01

心中の理由

「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)」という浄瑠璃があります。通称「お半長」です。今は知る人は少なかろうが、30年位前までは「お伊勢参りの下向先、石部の宿で、<ウンヌン>岩田帯締めたとさ」という小唄もあって人口に膾炙していた話である。
 この浄瑠璃は落語の『胴乱の幸助』の主題なので、私にも大変親しいものです。ではあるが全曲を浄瑠璃で聞いたこともないし、読んだこともない、このままにしておくのもなんだ、ということで岩波文庫を取りだして、大体なんでも私の書庫には入っている、読んでみました。
 と、意外な発見あれこれ、がありましたので、メモとして書いておきます。これから先はネタばらしにもなりますから、自分で読みたい人は見ないでね。

 四十に近き長右衛門さんが、十四歳のお半に惚れ抜いて桂川で心中した、というのは平成の世のロリコン趣味の時代と違い、江戸大阪のご時世では、いかにも絵空事、と作者が気を回したこともあってか、この心中には「実は・・・」という事情がこってりと塗られているのでした。
 ・長右衛門さんは帯屋の当主半斎が跡取りがいないので隣家からもらった子です。大変良く出来た子でこのままいけばお家は安泰であったのですが半斎の連れ合いが亡くなり後添えに飯炊きの婆、お登勢というのがずるずるべったりに入り込み、その連れ子の義兵衛を跡継ぎにしてお家を乗っ取る算段で長右衛門夫婦にことあるごとに嫌がらせをして追い出す策略を立てている。
 ・家の運転資金百両が紛失します。それは長右衛門さんが廓遊びにふけって蕩尽したのだ、と継母お登勢は責めたてますが、
 ⇒実は、お内儀のお絹さん、落語では「日本一の貞女」ですが、その兄さんが恋い焦がれている女郎の身請けの為に、出してやったのでありました。長右衛門さんはお絹さんに肩身の狭い思いをさせないために黙っていたのです。
 ・長右衛門さんの死なねばならぬ理由は、色恋だけではありませんでした。帯屋お出入りの大名家の伝家の宝刀の研ぎを頼まれていたものを、例の石部の宿ですり替えられてしまい、死んでお詫びをせねばならぬ、と追い込まれていたのです。長右衛門さんとしてはお半との一事がありますから、なおさら責任を感じるのでしょう。
 ところが、実はこのすり替えは後添えのお登勢とその連れ子義兵衛が、お伴をしていた小僧の長吉を抱き込んでやらせたのであります。このことは小僧長吉の兄の知るところとなり、恩になった主家になんたる不埒、と帯屋に乗り込んで来て悪事露見するのですが、その時には一足遅く、長右衛門さんはすでに桂川へ出かけた後でした。
 このような難儀が積み重なって、死ぬ環境(?)が整えられることになるのですが、なんと言っても最大の「実は」は、
 なんと、ここからゴチックにしなければならないが、長右衛門さんは14年前に女郎と心中して相手を死なせてしまった事があるのです。「雪野」という女郎であったのですが、その生まれ変わりを14歳のお半さんに見てしまうわけです。死に後れたことへの悔いを、ずっと持ち続けてきたわけで、いわば雪野への心中立てなのです。へえ、なるほどねえ。これでこそこの心中が、更年期の中年男の妄執では無く、愛の輪廻の悲劇になって行くのですな。ここまで読んだ人は一割くらいのもので、世間通用ではロリコン理解で、今ではその方が通りが良いのかもしれない。

 そして、それに加えて番外篇『私の最大の「実は」』があります。
 復刊された岩波文庫の字があまりに小さくて読み難いので、こうなればとネットの古本屋から「近松全集」全17巻を買い込んで、さて何巻にあるじゃろかと、一巻一巻題名を調べてみて、あれれ、れれ、無いの、
無いのね〜、載ってないの。驚きあきれて岩波文庫を打ち広げ、よくよく見れば、本文末尾に「作者菅専助」。この浄瑠璃の作者は、実は、近松ではなくて、菅専助だったのです。作者名くらいは、表紙とか目次に書いておけよな、と言いたくなりますな。でもこの「近松全集」を買ったお陰で、という話はまた後日。
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by zo-shigaya | 2005-03-16 14:45

若者の未来

 ときどきNHK教育テレビの「トップランナー」という番組を見る。停止の仕方が判らないのでずるずると視聴料を満額払っているので気分が悪いのだが、この分だけは払ってもよい、と思う。(それとお相撲が始まると夜中の総集版は見るからそれも払う、か)
 各界の若手活躍者が出てくる。その分野が、スイス料理、マウンテンバイク、ホラー映画監督、ラッパー、帽子デザイナー、アニメ、といった文化芸能関係だけで、経営、株式、銀行、税務署、政治家、というのは出てこない。なぜかな。万一出てきても、ワシは見ないから気がつかないだけか。
 言いたいことは、現在のトップランナーたちは物すごいエネルギーを投入してきている、という事実に感激する、ということ。当たり前だが人並みにやって楽して成功を得ることは出来ないんだね。今も昔も。マウンテンバイクの世界チャンピオンになったまだ20代の青年は、なんと、中学生で日本一になり、あとは学校を辞めて両親と一緒に車で寝泊まりしながら世界中をまわってレースに参戦、トップになる。DJコンテスト世界一の青年は中学時代に夢中になって3ヶ月新聞配達をしてミキシングマシーンを自費で買い、あとはそれ一筋。日本人初のスイス国認定マイスターになった人は高校生の時にスイスにホームステイ留学して言葉の習得からスタートして鍋洗いから叩き上げる。
 3年4年なんてものじゃない、10年以上の修業期間を費やしている。それも猛烈な濃い密度で連続して。先週のホラー映画監督はサム・ライムに認められてハリウッドで映画を撮ったというが、この人も大学を中退して10数年間の下積み生活の挙げ句だ。
 今でこそNHKの番組でトップランナーとして取り上げられているけど、それまでは殆どなんの保証も無い、なんの評価も得られない、それこそ一歩間違えば、なに、わけの判んないことやってんだ、という冷たい視線にさらされて来たに違いない。30歳までは自分の夢を信じてやって行こうと思ってここまで来た、という言葉はなかなかでないよな。

 ”若いということは、なかなかに大変だ。
 過去は一瞬にして振り返ることが出来るが、未来は一瞬たりとも可能性であることを  
 止めない。
 無限の可能性-などと大人は、少年少女や若者に向かって、ヨイショをするが、可能 
 性という言葉は、必ずしも明るい良いものとは限らない。
 自分の若い時にワープしてみれば、分かるではないか。
 可能性という名の不安に苦しまなかった青春があるだろうか?”

ワシが尊敬する愛恋公女が、上のような名セリフを書いているが、まったくだよね。ワシのように可能性に満ち溢れていて、ほとぼしるものをとどめがたいような人物であっても苦しかった。今でも苦しい。多くの可能性に賭け続けているから。
 地球家族の諸君、可能性を多く持つ者ほど苦しむのだ。精進したまえ。後に続くを信じてます。
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by zo-shigaya | 2005-03-15 18:46

愛染かつら

長らくのお休みでした。何故お休みしたかについてはあとでこまごまと書きますが、再開第一回のお話は、『愛染かつら』の話です。
 小沢昭一が各地でお話をする時の締めくくりにハーモニカを吹いて聴衆のご機嫌を伺っている。たまたまそれを聞きました。謙遜しながら吹くのですが、いかにも芸人さんらしい鮮やかな演奏です。曲は『旅の夜風』で「『愛染かつら』の映画が一世を風靡して誰も彼もこの唄を歌っていたもんです、ただ、あの映画の筋は、早くいえば、医者が看護婦に惚れる、というだけの事なんですけれどね」と言っていた。
 そこでまた、詮索好きな癖が働いて近くのビデオ屋で松竹ホームビデオから出ている総集篇(89分)というのを借りて見た。まったく小沢昭一の言うとおりの筋で、大きな病院の跡取り医者が、自分の病院の看護婦に惚れて一緒になるまでの、あれやこれやのすれ違いを描いたものだ。細部が無くて筋だけだ。
 恐らくこの総集篇は、昭和13年上映の映画をまとめたものなのだろう。ビデオパッケージを見れば書いているかも知れないがレンタルではそれが判らない。『愛染かつら』は初編、後編、完結編などがあるのではないか。この映画だけでは、国民の紅涙を絞ることは無理だろう。
 さて、聞くと見るとは大違い、のあれこれを列挙します。
 総集篇を見て意外に思ったのはハッピーエンドで終わる事だ。僕はこの看護婦高石かつ枝(田中絹代)が結核で死ぬ悲劇かと思っていた。これがまずはずれ。
 さらに、高石さんは最後は看護婦ではなく、白衣の天使から満都を沸かす新進レコード歌手として華々しくデビューするのである。このデビューの楽屋に津村浩三(上原謙)が求婚に押し掛けるのである。
 また、高石さんは貧窮のうちにあった訳ではありません。実家は裕福な金持で、ええところのお嬢さんなのです。それが親の許した許嫁と結婚する頃に折悪しく倒産し、さらに懐妊8ヶ月の時に夫もスペイン風邪でコロッと行ってしまい、実の姉のところに寄寓して4歳の娘を育てている。行儀作法は勿論、洋楽のお稽古もしているお嬢さんなのです。身を寄せている姉の家も、立派な洋室もある御宅なのです。(もっともこの姉さんの旦那は姿を見せません。死んだのかしら)
 看護婦として津村病院に勤めていたのですが、辞めた後でも家族で熱海に保養にいったりしています。そこで友人の医院のヘルプにいっていた津村が、たまたま彼女の娘を診察して、身持ちであることを知るのですが。
 一方、大病院の御曹司の津村浩三の方は、この上無く恵まれているかと思うと、さにあらず。親父さんの頃から病院経営は左前で資金不足、そのために浩三君に金持ち医者の娘を縁付けようとするのです。浩三君はそれを嫌って家出などをするのです。その時にかつ枝さんを誘って同行を求めるのですが、かつ枝さんは娘(この子が全然可愛くない。誰に似たのか、と思うくらい)がハシカになって看病しているうちに遅くなって、夜の新橋駅11時の汽車に間に合わず、哀愁のすれ違いシーンになるわけ。
 浩三君がうだうだ言っているうちに、親父の院長は脳卒中で死亡、なすすべもなく浩三君は涙ながらに廃業宣言をします。まったくダメ息子なのです。
 この窮状を救ってくれるのは金持ち医者の娘さんです。親の言いつけでアメリカから一時帰国して浩三君とお見合いをした彼女は、かつ枝さんの純情に感激して父親を説得、自分につける持参金分の金を病院の運転資金に出させてやって、病院を救済してやります。そして自分は颯爽とアメリカに帰っていきます。
 でも、浩三君は小児科の博士ですから、看護婦50人の大所帯の病院を果たして切り盛りして行けるのでしょうかね。上原謙のまずいセリフ回しと白痴美のような容貌を見ていると『旅の夜風』の「花も嵐も踏み越えて行くが男の生きる途〜」という歌詞は、浩三君の多難な病院経営の前途を歌ったもののように聞こえてくるのです。見てから聞くとまったく違う印象を持つものですね。
 だから最後のハッピーエンドも、結局、先行き不安なバカボンが、金づるとしての新進歌手にすがりついた、と見えないわけでもない訳ですね。恐らく彼女の稼ぎの方が大きくなるでしょうからね。
 谷中に今も有る自性院の愛染明王を祀ったお堂のそばの桂の木に、願いをかけると結ばれるというのが、「愛染かつら」の題名の由来だそうで、田中絹代の聡明でしっかりした態度が、戦前における日本の母の水準の高さを忍ばせる。(ちなみにこの映画の時、田中絹代御年28歳であった。若く見えますな。)
 これに匹敵するのは、平成の世の、我が愛恋公女でありますな。ではまた。

 
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by zo-shigaya | 2005-03-14 18:52