ん、誰か呼んだ?


by zo-shigaya

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 へえ、そうだったのか、という興奮と共感を覚える本というのはなかなか出会えないが、平山洋「福沢諭吉の真実」(文春新書04年8月20日刊行)は近来稀に見る快著である。朝から読み始めてお昼過ぎまで、息つく間もなく読み終えた。
 現在刊行されている『福沢諭吉全集』の時事論集の中に諭吉の自筆論説ではないものが混入していることの指摘である。そして、それがただの素朴な間違いや確認違いではなく、極めて意図的に巧妙に仕組まれた仕業だった、というのである。それを仕組んだのは、誰あろう、全集編纂者にして、浩瀚な『福沢諭吉伝』全3巻の著者である、石河幹明その人であった。
 まるで推理小説を読むような面白さだ。これまでの研究で、明治前期に市民主義者、開明主義者であった福沢諭吉は、後半、国権的侵略主義者に変身するという指摘、研究があった。しかしその後半のイメージを作った侵略主義的、皇室崇拝の論説は、実は石河幹明が書いたもので、それを福沢のものとして全集に大量に混ぜ込んだのだ、と論証している。福沢は最後まで開明主義者としての理性を失わなかったのである。
 新聞雑誌に発表された無著名論説の著者を確定することはなかなか難しい。しかし、中江兆民の論説をかなりの期間読んだ体験からすれば、確定されている論説と同時期の文章であれば、大体のカンで見分けが付くようになる。これは違う、という感触が判る。もっとも時代が20年も離れてしまうと文章の癖が変わるから間違う場合もあるだろうが、言っている内容まで変わってしまうとすれば、何か人格上の問題が起きたと思うだろう。おそらく福沢の研究者たちだって、その辺の違和感は持っていたに違いない。
 でも、まさか編纂者が意図的にこのような謀り事を行なったとは想像を絶する事だ。まして出版元が慶応義塾であり岩波書店なのだから、検閲校訂済みという安心感がある。
 テキスト・クリテイックは学者の仕事の第一歩である。その原則に忠実に、在来の権威に対して果敢なるメスを入れた平山洋さんは誠に偉い。

 「有名な『脱亜論』」、つい私までこんな形容詞を付けてしまうのだが、平山さんの説明では、この論説についても、掲載された1885年(明治18年)3月16日時点での状況に戻して考えれば、甲申政変後の朝鮮独立党への弾圧に憤って書かれたもので、福沢のアジア蔑視の侵略賛美思想の表明ではない。発表時にもそれを巡っての論壇の反応はなく、福沢自身、その後の言論活動の中でただの一度も「脱亜論」に言及していない。発表から48年4ヶ月経って、昭和版「続全集」に収録されたが、明治、大正、昭和の終戦時まで、これに触れる論者も研究者もいなかったという。
 それが戦後1951年11月に遠山茂樹が書いた論文で初めて取り上げられる。遠山は「アジアへの侵略賛美者としての福沢」という解釈を(丸山真男に対して)提出するためにこれを引用しているが、このイメージを作ったのは、まさに石河幹明の『福沢諭吉伝』なのだという。遠山は図らずも石河幹明の策謀に乗せられてしまったわけだ。遠山の友人の服部之総はさらに明確に日清戦争の扇動者としての福沢という側面を強調する。これを受けて1963年の筑摩書房刊行の「現代日本思想大系」の第9巻「アジア主義」に竹内好がその全文を掲載して、反アジア主義の代表的論説に祭り上げてしまったのが真相である、と平山洋さんは腑分けをしてくれている。
 この筑摩書房の大系は当時の学生には良く読まれたものである。かく言う私も、このアンソロジーで『脱亜論』を読み、かつ竹内好の解説を読み、それ以来この論説が喉に刺さった骨のように感じながら福沢を眺め、福沢を説く丸山さんの著作を見て来た。この不快さ、胸のつかえが、今やっと解けた。なんと言う喜びであろうか。
 本日10月7日を持って「福沢諭吉解放記念日」としたいくらいだ。
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by zo-shigaya | 2004-10-07 17:22