ん、誰か呼んだ?


by zo-shigaya

カテゴリ:近時片々( 11 )

藤村の「夜明け前」

 堀田善衛さんが、大江健三郎のインタビューを受けてお話をしている番組がある。NHK教育テレビの15年近く前の番組である。ソニーのベータマックスのテープで録画したものがあったので、試しに再生してみたら綺麗に見れた。そのなかでメモしておくこと、2,3。
 
 ○日本という国は宇宙船のような国だ。食糧や資源をすべて他の国から輸入して、閉鎖的な環境で豊かな社会を育んでいる。ヨーロッパから帰ってみるとその特殊さがきわだつ。
 ヨーロッパでは、文化はカルチャーであって、その言葉の原義としての、大地に根差す耕作としての文化という前提がある。日本の現在の文化状況は、日本のどこに根ざしてているのか。どこからも切り離されたような状況なのではないか。
 そのことの危うさについて考えようとしない社会。

○(近代日本の小説を1冊をあげるとすればなんですか、と問われて躊躇なく)
 島崎藤村の「夜明け前」です。


 なるほどな、と深くうなづく。
 「夜明け前」についての書評を、少しあげる。

 小林秀雄
 「この小説に思想をみるというよりも、僕はむしろ気質を見ると言いたい。作者が長い文学的生涯の果てに自分のうちに発見した日本人という絶対的な気質がこの小説を生かしているのである。個性とか性格とかいう近代小説家が戦ってきた、また藤村自身も闘ってきたもののもっと奥に、作者が発見し、確信した日本人の血というものが、この小説を支配している。この小説の静かな味わいはそこから生まれているのである。
注意すべきことは、作者が、この漠然とはしているが、絶対的な日本人の気質というものを熱烈に信じ、これを積極的に表現している点で、ここから、この小説のイデオロギイとか思想とかを僕らが云々する所以のものが生まれているというところだ。実際わが国の小説で、これほど日本的という観念を高い調子で表現したものはないのである。」

篠田一士
「「黒船」の人々の信仰をもたないわれわれにとって自然は文明を治(しろ)しめし、文明の原理をそこに仰ぐべきだと「夜明け前」の作者は言いたげである。この恒なる自然の目から見れば、想像的小宇宙も事実の世界もいかほどの径底があろうか、と彼は反問するだろう。「夜明け前」の発端はペリー来航の年で、終末の頃にはイギリス人の鉄道測量師が木曽路を調査している。この間に近代日本の出発点は定まった。そして、以来半世紀にわたってここには文明と名付けるべきものが築かれてきた。
 「夜明け前」の作者はこの近代日本文明の成果に誇りをもち、そこに安堵感さえ味わっている。そして彼は、一方では、この文明の指導原理となった「黒船」の人々の思想を受け容れながら。他方では、これを当然拒むはずの思想をなおかつ、おのれの文明の根底に据えなければならない必然を倦むことなく語り続けている。
「夜明け前」は大変気味の悪い小説である。」

 小林秀雄の指摘する日本人としての「気質」と、根底から相反する思想を、近代日本の文明の中の指導原理として抱え込まねばならなかった時代、そのことを執拗に問いかける作業から生まれた作品なのである。

 この問いかけは、もはや終わったものだろうか。
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by zo-shigaya | 2009-04-21 13:08 | 近時片々

文士の魂

 2月26日木曜日の午後8時過ぎ、たまたまNHKラジオを点けたら、ホキ徳田さんが自叙伝を話していた。
僕にとっては、ヘンリー、ー・ミラーとの出会いの事に興味があるので、しばらく聞いていた。

 彼女と出会ったのは、ミラーが70歳ころのことであるが、一緒に住んでみて驚いたのは、物が全然なかった、という。
 ワードローブには、正装用の背広が一着と、あとは普段着の服が3,4着ぶらさがっていただけだったという。
 家具も調度品もこれといったものはなくて、あの大作家が、と驚いたという。
 ミラーの金銭感覚は第二次大戦の前で止まっていて、徳田さんが付けていた香水の値段を聞いて、驚いたという。何十ドル、というあたりが、高額、という感じだったらしい。
 贅沢品などを身に付けるという気持ちもなく、「ホキ、君が僕にとって、一番のラクジュアリーだよ」と言ったという。

 ヘンリー・ミラーの「南回帰線」は中学生の3年の3学期の春休み、つまり高校生になる直前の、私が最も影響を受けた本だ。おそらくその本の影響が、僕のその後の人生のなかの、男女のつきあいについて、最も大きく影響したといえる。
 田舎の本屋に並んでいたものではなく、その春休みに東京神田の三省堂か東京堂か、で平積みされていたのを買った。

 この本の影響の延長上に、W・ライヒの「セクシュアル・レボリューション」や「オルガスムの機能」があり、日本の68年ムーブメントへのコミットメントがある。
 それはさておき、
 徳田さんの話を聞いて、からだの底から湧きあがる感動がある。
 天下無一物の存在として、自在闊達に動き回る、文士の魂の尊さ。
 このごろ、絶えて聞かない。

 それこそ、若い魂を惹きつける核心。

 いい話を聞かせてもらった。
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by zo-shigaya | 2009-02-28 12:03 | 近時片々

小沢一郎氏に望むこと

11月13日
 民主党の小沢党首が辞意撤回をして続投をすることにしたのは日本の政党政治にとって嘉すべきことだ。
 メデアは喧しく裏の事情をさぐっている。裏にはいろいろな経緯があるのだろう。その事の真相はいずれ明らかになるとして、それ自体、大した問題ではない。
 また政策協議も悪いことではない。法案の内容についての歩み寄りや擦りあわせは、どこの政党同士であってもやって悪いことではない。必要なら、自民党と共産党が政策協議をしても不思議ではないし、多いにやったらいい。それが議会政治だ。

 問題は、小沢党首が、なぜ、一気に「連立政権」に進む「気分」になってしまったのか、ということだ。
 小沢氏は11月4日の辞意表明会見では「民主党はいまださまざまな面で力量が不足しており、国民からも「自民党はダメだが、民主党も本当に政権担当能力があるのか」と疑問が提起され続け、次期総選挙の勝利は大変厳しい情勢になると考えている。」と述べていた。
 11月7日の辞任撤回の会見の中でも、衆議院の勝利については楽観してはいられない、小選挙区で前回の三倍の議席を勝つことが絶対条件だ、この厳しい現実を直視しないで、参院選勝利の「勢いだけで勝てるほど甘くない」と述べている。

 この強い不安が、小沢氏をして、今回の「連立」の話に飛び付かせたものだろう。この厳しい選挙情勢の手応えと確信は、どこから生まれたかといえば、ここ1ヶ月くらいの小沢氏の動静を報じる新聞記事から推察するに、恐らく地方回りをした感触から生まれたのだろう。
 小沢氏が地方回りをして会っているのは、新聞の記事で見れば、ほとんど「連合」の幹部たちだ。彼らからどんな分析が出たか、詳しく報告されたものはないが、おおよそ内容は推測がつく。
 いわく〃民主党の組織は弱体だ、党員数も少ない、地方議員も少ない、足腰が弱い、選挙の時は連合頼みだ、議員や候補者の活動が見えてこない、エトセトラ、エトセトラ 〃 
 これが小沢氏をして、次の選挙では民主党はまだ勝てない、という悲観的気分に落し入れた、と私は見る。そしてこの分析に依存していることが、小沢氏のアキレス腱なのだ。「連合」依存意識が不安の源泉である。

 「連合」はたしかに民主党の最大の支援組織ではあろう。しかし、一歩地域と現場に足を踏み込んで、現在の日本社会の中での機能を眺めてみればよい。現在の「連合」は企業内組織であってそれ以上のものではない。市民社会の中にネットワークを持っている組織ではない。
 地方の「連合」の幹部諸君が、どの程度、地域のムードを読めているのか。
 彼らは地域全体の民意を示すバロメーターでもなければ、十分な民意のセンサーでもない。フリーター、派遣社員の大量出現という社会問題に対しての関わりを見れば、その事は歴然たる事実だ。
 その組織の幹部を回って歩いた感触で、今現在、日本の社会に流れる「空気」を判断しようとしたところに、小沢氏の致命的な誤りがあった。
 これで不安になり、焦りにかられて、一気に急襲して天下を取るしか術は無し、という気持ちになって「大連立」という甘言に乗せられた。

 小沢氏は、この時点で残念ながら「KY」であった。空気が読めていない、情勢分析の対象が間違っているのだ。
 ここで苛立たないで、「連合」の分析が当たっているのかどうか、を別のセンサーから分析すれば良かったのだ。それは他でもない、全国で「朝立ち、夕立ち」している自党の議員、候補者からの情勢報告である。
 そうすれば、民意は「連合」の分析とは違う形をしていることが見えてきたに違いない。ましてや読売新聞の論説のようなわけでもない、と言うことが。

 その輝かしい政治歴から小沢氏には「勇将のもとに、弱卒ばかり」という、すこしひがんだ感情があるのではないか。今回の辞意撤回を機に、そんなケチな思いは男らしく棄てて、天下堂々、自ら率いる民主党の同志に五尺の赤き肉塊すべてを委ねる、という捨て身の心境になられることを、期待するものだ。
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by zo-shigaya | 2007-11-13 16:42 | 近時片々
 滅多に書かない時事ネタをアップしたら、たちまち大変動が起きてしまった。「大連立」(福田総理は「新体制」と言う)を持ちかけられた民主党の小沢党首が辞意を表明した。4日午後4時半ごろの記者会見をたまたまテレビのリアルタイムで見た。安全保障政策で福田総理が従来までの自民党の方針を大転換して「国連中心主義」にすること、「新テロ特措法」の成立にはこだわらないことを約束したので、国民生活関連法案の「政策協議」に応じることにしたい、という考えを役員会に説明したが賛同を得られなかったので、党首を辞任したい、というものだ。あえて今、民主党が政権の一翼を担い、参院選で国民に約束した政策を実現できれば、政権運営の実績を示すことができ、民主党への国民の信頼が増し、民主党政権実現への早道になると考えた、と述べた。
 ふう〜ん、なるほど、と思う気持もあるが、これってどこかで聞いたセリフだなあ。そうだ、細川政権が潰れた後で、自民党が旧・社会党を引っ張りこもうとした時、連立を受諾した社会党の側の理屈ではなかったか。
 あの時は自民党が社会党にすり寄ったもので、決して自民党の軍門に下ったのではない、社会党としては、それまでの万年野党、なんでも反対の無策政党、という汚名をばん回し、政権運営の能力と実績を国民に示して、悲願の社会主義政権への道を拓くべく千載一遇のチャンスに乗ったのだ。で、その結果は自民党に丸呑みにされて哀れな最期を遂げてしまった。
 自民党と連立を組んで生きながらえているのは公明党だけで後はすべて綺麗に消化されている。
 そのことをまさか小沢一郎たるものが、忘れるわけがない。仮に彼が首班の連立であっても、恐らく民主党も解党されてしまうことは確実だ。旧・社会党は村山富市を総理にしたのにもかかわらず消えてしまったのだから。
 それにもかかわらず、福田康夫とこうまで話があってしまう、というのは何なのだろう?
 外交政策で一致した、という事だけではなく、小沢一郎にとっては、福田康夫という人間はなんの抵抗感も違和感も感じさせない人なのだろう。そりゃそうだ、安部普三とでは世代間ギャップがありすぎる。麻生太郎とでは喧嘩になる。その点、福田康夫という72歳の宰相は、悪くない、と思ったのかな。
 ちょうど社会党が、相手の自民党の総裁は良識派の河野洋平だし、あんまり悪い事にはなるめえ、と思ったように、ね。
 「自民党崩壊」のところで、最高指揮官が勝手に敵将と会談されたら前線の兵隊はどうなるのだ、と書いたが、小沢一郎の行動も同じこと。連日、次の衆議院選挙に向けて、党首の「政権交代」の大号令のもと、孜々として活動している全国の民主党員の活動をどう考えているのか。大連立の場合、昔の中選挙区ではなく、小選挙区制度の下で、自民と民主の議席をどう調整していくつもりなのか。
 たまったもんじゃない。
こうなれば、民主党としては、ただ一人の人にすがるしかなかろう。
それは、江田五月だ。
彼を参議院議長から党首に転身させて起死回生を図ることが、最善の策だ、というのは団塊世代の世迷言かね。
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by zo-shigaya | 2007-11-05 18:52 | 近時片々

自民党崩壊 11月3日

 衆議院で3分の2の絶対多数の議席を有し、世論調査でも国民の3割から4割の支持を得ていると思われる政権政党が、ついに崩壊した。と、思うしかない。
 自民党総裁であり内閣総理大臣という最高権力者の福田康夫氏は11月2日、民主党の小沢一郎党首に党首会談を呼びかけ、「大連立を打診」(毎日新聞11月3日1面見出し)したという。小沢党首は即答を避け党役員会に持ち帰り協議したが全員反対ということで「受諾できない」と伝えた、とある。
 もしも、小沢党首と民主党の役員会が連立を受諾した場合、福田総理は「小沢首班の内閣」も容認したのだろうか。
 最低でも小沢副総理だろうし、大臣の半分は民主党から出ることになるだろう。そうなれば、これは連立というより「政権交代」ということではないか。
 そもそも自民党ではこの提案をするにあたって役員会みたいな場所で決を取ったのだろうか。数日前の第一回会談を申し込んだ時に、誰やらが「連立構想などの持ちかけ反対」の釘を差した、とかいう記事が出ていたが、おそらく全党一致の提案ではなかろう。
 最高指揮官が真っ先に白旗を掲げたのを見せられて、前線の兵士がどのような思いでいるのだろうか。無血開城、敵前逃亡、など、政治家は軍人ではないけれど、この責任追及は免れないだろう。
 それとも自民党という組織はリーダーの指導責任などは期待していない人たちの集団だろうか。
 かくて自民党は、品の悪い表現で申し訳無いが、「馬糞の川流れ」状態になってしまった。
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by zo-shigaya | 2007-11-03 12:19 | 近時片々

夜郎自大

07年8月9日
 今年の4月に「石原違い」という文を書いた。

http://zoshigaya.exblog.jp/tb/6704627

石原慎太郎と石原信雄という人が、いかに品性見識人格力量経験において違うか、を述べたものでありましたが、古い話をしたついでに、もう一つだけ書き加えておくことがあります。
 というのは、慎太郎が選挙の時であったか(発言の時期はここで特定しないが)「阪神淡路大震災のときに、自衛隊をもっと早く出動させれば被害が防げたのに、自衛隊アレルギーを持つ者がグズグズしていたために被害がひろまった」という趣旨の事を言った、という。

 事実を正確に書く。

 1995年1月17日の大地震勃発にあたり、ときの石原信雄官房副長官は、自衛隊の出動を要請したのである。彼は17日の午前9時前に官邸入りし、「大変な事態になる」と判断して、自衛隊法83条2項の「(都道府県)知事の要請を待つ時間がない緊急事態の場合」は要請なしで自衛隊を出動できる、という項目に注目し、これに基づき自衛隊出動を発議した。しかし、それは出来なかった。なぜか。それについては、石原信雄ご本人が後日、新聞に書いている。

「(自衛隊を出動させようにも、災害対策基本法では)自然災害の情報は、すべて国土庁防災局に集約され、被害がシビアなものは直ちに首相官邸に連絡が来るようになっている。そうしたマニュアルが決まっているのに、今回は元(防災局)が動いていなかった。防災局に正確な情報が入らず、防災局自身が事態を把握するのに多くの時間がかかった」毎日新聞1995年1月29日

 この当時の国土庁防災局への情報伝達入力の入り口は地方自治体である。その自治体の各部門では、というよりは首長をはじめ無事な職員は自分の身の廻りだけしか把握できない状況であり、自衛隊に出動を要請することはおろか、国土庁への連絡もままならない状態だった。

 さらに、時間をおいて出動した自衛隊の先遣部隊がつかんだ情報は無線で中部方面総監部を経由して防衛庁・陸海空各幕僚監部の専門家を配置した情報・指揮センター(CCP)で一本化されることになっていたが、最初のレポート「各自衛隊の対応」が出来上がったのはその日の午後5時。
 
 毎日新聞に載った陸幕監部の言葉として「テレビの方が全体像をつかめた」とある。 
 リアルタイムで画像をCCPに送れる「映像電送装置」は、この頃は一台しか備えていなかった、という。
 こういう体制であったのだ。

 自分は平時にぬくぬくとしていて「乃公いでずんば天下になにごとかあらん」などと大言壮語してイキがっているのを、西郷隆盛は「夜郎自大」と罵倒した。

 巡り来る9月、防災の日を前にして、首都東京の安寧無事を心から願うものである。

(ps.書いて蒲団に入ってから、あれ、たしか「夜郎自大」であったな、と気が付きましたので、こっそり訂正しておきます。8月10日)
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by zo-shigaya | 2007-08-09 12:56 | 近時片々

ニャン子、元気か

07年7月4日(水)晴れ、曇り。
 朝、具合悪い。午前中はぐったりしている。
 『中江丑吉書簡集』を少し読む。
 サーヴィスの『レーニン』上を読み続ける。

 動きたくないが、芦屋の他施設見学会で、午後3時から山の上まで行かねばならない。自分で企画して作ったスケジュールだけど、つらい。帰ってきて懇親会もある。
 8名参加。高瀬ペパーミントセンターと山の上に今年の4月に出来た小規模複合福祉施設を見る。以前の元の○○小学校を改装した施設だ。学校変じて福祉施設か。居住性という点で随分改装に苦労しただろうなあ。

 このあたりは、今月初めに保護してした迷子のトラ猫の生地だ。その後、飼い主が実家に連れ帰ったというから、なんとなく懐かしい。あすこらへんの家の庭で遊んでいるのかしら、子猫たちは無事産まれて元気にしているのだろうか、と気になる。まるで知りあいの人を心配していると同じ気分(!?)。風邪で気が弱っている証拠だ。

 帰ってからの懇親会には+4名。

 帰って八時半。愛恋が帰宅していので、少しおしゃべりして、シャンパンを三杯。

 こんな日々で体調が悪い、吉本ばななの『日々の考え』にへばりついて抜き書きなどしているのが唯一の癒しだ。元気になったらブックオフに行って、彼女の本を探してみよう。
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by zo-shigaya | 2007-08-08 18:23 | 近時片々

テント公演

07年7月3日(火)曇り、昼前から雨、午後曇り
 朝、眠くて起きれない。頭が痛い。風邪薬を飲む。具合が悪い。声もまだ十分でない。一日寝ていたい気分だ。

 午後五時半から宝塚神戸野外公演。私の車は環太平洋の送迎に貸したのでベンツで行く。バリバリ飛び出す馬力は魅力的だ。テントにイスを並べて手際良く会場設営。リッツホテルの人たちの協力という。2500人を越える観客が集る。芦屋からバス10台で動員の成果もある。
 帰りは愛恋とグルミンさんを乗せて9時半ごろ帰宅。食事しながらお酒。白ワインをグラス三杯に日本酒を一合半くらい飲む。なんでこう酒びたりなのだ。
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by zo-shigaya | 2007-08-08 18:08 | 近時片々

ケンケン相和し

07年7月2日(月)薄曇り。
 体調悪い。声が満足にでないと頭まで悪くなるのか。
 本日はクレーム処理とお詫びに。

 夕方少し早く(6時ごろ)帰宅してビールを飲みながら犬たちを眺めている。心豊かな時だ。居間の窓から珍しく二匹が仲良く首を寄せて庭を見ている。
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もっともこの瞬間でも、庭に猫の影やら塀外を散歩する犬の気配でもあれば、猛然と吠え声を上げて威嚇する、という事態がしゅったいするのであるから、それに負けぬダッシュで拙も裸足で飛び出して怒鳴りつける、という離れ業を披露せねばならぬ。
 日々これ精進、でありますな。
 夕食はミネストローネを作る。トマトとレタスのサラダを作る。最後に焼きうどんを食べる。そして、結局、お酒を飲みすぎてる。
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by zo-shigaya | 2007-08-08 17:58 | 近時片々

高いのか安いのか

07年7月5日(木)曇り、小雨。
 愛恋は8時前に家を出る。
 ウインブルドン・テニスを録画して見ている。昨年優勝のフランスのモレスモとチェッコの「ソバデダス」(違っているがそんな名前だ)との試合。モレスモ、3セットで敗れる。追い詰められて二度、三度、獣のように咆哮する。ソヴァージュな選手だ。方やソバさんは18歳のブロンド娘、とはいえ180センチを超える大女。顔はシャラポアみたいに可愛いけれど。

 午前、運営会議。少し声が出るようになる。
 午後、営業会議。久しぶりに怒鳴りまくる。反省。
 ブックオフでばななさんの本を買う。文庫本が105円コーナーにあるのは分かるが、単行本も同様に105円、というのには買うほうは、有り難いがなんとなく、釈然としない。本に対しての「物神崇拝」があるからなのか。

 こういう商売は、あんまり長続きしないのではないか、という気がする。現に10月にはツタヤに身売りするという。

 ついでに養老本を3冊、長田弘を一冊、いずれも単行本105円。
合計で2,130円ほどで両手にずっしり。半端が出るのはサービス券とポイントを使ったから。嬉しくないか、といえば、嬉しいのだけれど、有り難みが薄れるような。でも、知識は物ではない、という観点からすればこれで良いのか。

 この他に、犬のエサ、缶詰、ホーマックで安売り中ということで、ぺデイグリー缶詰1個128円。8kgのエサ@1,260円。合計して1万3千円ほど買う。

 途中のお店で、胡麻の安平(くじら餅)を買って食べる。三切れで180円、これは高いなあ。まるまる一本の値段だ。

  金銭感覚がバラバラ、グズグズになっている。


 買い物に行く気になる、ということは、健康状態が少し回復した、ということか。

 夜、WBテニス。「シャラポア vs ビーナス・ウイリアムス」ビーナスの勝ち。
         「エナン(ベルギー)vs セリーナ・ウイリアムス」
          エナンの上手さ勝ち。柔軟でいてバネのある選手だ。
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by zo-shigaya | 2007-07-05 13:38 | 近時片々