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ん、誰か呼んだ?


by zo-shigaya

藤村の「夜明け前」

 堀田善衛さんが、大江健三郎のインタビューを受けてお話をしている番組がある。NHK教育テレビの15年近く前の番組である。ソニーのベータマックスのテープで録画したものがあったので、試しに再生してみたら綺麗に見れた。そのなかでメモしておくこと、2,3。
 
 ○日本という国は宇宙船のような国だ。食糧や資源をすべて他の国から輸入して、閉鎖的な環境で豊かな社会を育んでいる。ヨーロッパから帰ってみるとその特殊さがきわだつ。
 ヨーロッパでは、文化はカルチャーであって、その言葉の原義としての、大地に根差す耕作としての文化という前提がある。日本の現在の文化状況は、日本のどこに根ざしてているのか。どこからも切り離されたような状況なのではないか。
 そのことの危うさについて考えようとしない社会。

○(近代日本の小説を1冊をあげるとすればなんですか、と問われて躊躇なく)
 島崎藤村の「夜明け前」です。


 なるほどな、と深くうなづく。
 「夜明け前」についての書評を、少しあげる。

 小林秀雄
 「この小説に思想をみるというよりも、僕はむしろ気質を見ると言いたい。作者が長い文学的生涯の果てに自分のうちに発見した日本人という絶対的な気質がこの小説を生かしているのである。個性とか性格とかいう近代小説家が戦ってきた、また藤村自身も闘ってきたもののもっと奥に、作者が発見し、確信した日本人の血というものが、この小説を支配している。この小説の静かな味わいはそこから生まれているのである。
注意すべきことは、作者が、この漠然とはしているが、絶対的な日本人の気質というものを熱烈に信じ、これを積極的に表現している点で、ここから、この小説のイデオロギイとか思想とかを僕らが云々する所以のものが生まれているというところだ。実際わが国の小説で、これほど日本的という観念を高い調子で表現したものはないのである。」

篠田一士
「「黒船」の人々の信仰をもたないわれわれにとって自然は文明を治(しろ)しめし、文明の原理をそこに仰ぐべきだと「夜明け前」の作者は言いたげである。この恒なる自然の目から見れば、想像的小宇宙も事実の世界もいかほどの径底があろうか、と彼は反問するだろう。「夜明け前」の発端はペリー来航の年で、終末の頃にはイギリス人の鉄道測量師が木曽路を調査している。この間に近代日本の出発点は定まった。そして、以来半世紀にわたってここには文明と名付けるべきものが築かれてきた。
 「夜明け前」の作者はこの近代日本文明の成果に誇りをもち、そこに安堵感さえ味わっている。そして彼は、一方では、この文明の指導原理となった「黒船」の人々の思想を受け容れながら。他方では、これを当然拒むはずの思想をなおかつ、おのれの文明の根底に据えなければならない必然を倦むことなく語り続けている。
「夜明け前」は大変気味の悪い小説である。」

 小林秀雄の指摘する日本人としての「気質」と、根底から相反する思想を、近代日本の文明の中の指導原理として抱え込まねばならなかった時代、そのことを執拗に問いかける作業から生まれた作品なのである。

 この問いかけは、もはや終わったものだろうか。
by zo-shigaya | 2009-04-21 13:08 | 近時片々